- 30. 88式偵察機 昭和2年(1927年)
- 31. 3式艦上戦闘機A1N1~2 昭和2年(1927年)
- 32. フォッカースーパーユニバーサル輸送機 昭和4年(1929年)
- 33. 石川島Rー3軽飛行機 昭和4年(1929年)
- 34. 90式2号飛行艇 H3K2 昭和5年(1930年)
- 35. 90式艦上戦闘機A2N1~3 昭和7年(1932年)
- 36. 91式戦闘機 昭和6年(1931年)
- 名城公園に愛国号の痕跡が
- 37. 93式双発軽爆撃機 キー2 昭和8年(1933年)
- 38. 93式中間練習機 K5Y1~5 昭和8年(1933年)
- 39. 94式(2型)水上偵察機 E7K1~2 昭和8年(1933年)
30. 88式偵察機 昭和2年(1927年)

ついに昭和の時代の航空機になりました。

機体後部に描いてある(女学生)ってどんな意味?愛國ならわかるけど・・・。


八八式は第二次世界大戦前に日本陸軍で採用された航空機で、昭和初期の日本陸軍を代表する軍用機ともいえる機体で日中戦争の初期まで使用され、大量に生産されたらしいけど初めて見ました。
31. 3式艦上戦闘機A1N1~2 昭和2年(1927年)

しっかり歯止まで作ってあります。

星型エンジンの飛行機が出てきました。空冷星型9気筒エンジン(2026.6.13)

上海事変の時、日本で初めて空中戦を行い、ボーイング218戦闘機1機を撃墜した。(ボーイング218って?)(2026.6.13)


32. フォッカースーパーユニバーサル輸送機 昭和4年(1929年)

操縦席が現在の航空機のようになり、パイロットが外気に直接当たらない造りになりました。

どうしたらこんな細かいところまで作れるの、もっと拡大して見たい。(2026.6.13)

この飛行機も星型エンジンです。


昭和4年に飛行機に乗る人ってどんなお金持ち・・・。
ちなみに、当時(昭和4年)の日本航空輸送のリーフレットを見ると、立川飛行場付近の遊覧飛行が約10分で大人・こども共、一名金五圓となってます(現在のいくらになるのでしょう)(2026.6.13)

33. 石川島Rー3軽飛行機 昭和4年(1929年)

小さな歯止めがカワイイ、こんなところ見てる人いる?ここまで作るのがすごい。

青年日本號って何、と思ったら、1931年(昭和6年)5月29日、法政大学航空研究会の学生と教官の二人は東京飛行場(現在の羽田空港)を出発して、ハルピン~モスクワ~ベルリン~ブリュッセル~ロンドン~パリ~マルセイユ、8月31日ローマのリットリオ飛行場(現、ウルベ空港)まで95日間をかけて到着したすごい飛行機だった。(2026.6.13)

当時、日本からはるか遠くヨーロッパまで行くのは命がけの挑戦だったよね。

第十義勇とは?(2026.6.13)

羽田~ローマ間13,926kmあるんだ、今でもこの距離を移動するのは簡単じゃない。
石川島って、のちの石川島播磨重工業、そして現在のIHIになる会社。(2026.6.13)
34. 90式2号飛行艇 H3K2 昭和5年(1930年)

大きすぎて、全体を撮るのが難しい飛行艇が出現。(2026.6.13)

ホントにこんな飛行艇があったのかなと疑ってしまうほどの威容です。

コクピットに比べてプロペラのでかい事、それを回すエンジンは随分スマートになりました。技術の進化がみてとれる。


コクピットの上部にあるのは救急箱でしょうか、違うのかな。(2026.6.13)

大きな機体はなかなか全体が撮れません、あっちから見たり、こっちから見たり、上から下から見てたらスタッフのお姉さんがどんな写真が撮れるんですかなんて、お声がけしてくれましたが、きれいに撮れないんですとしか言えなかった。(2026.6.13)

全体を収めるのが難しい、どこから撮ればいいのか試行錯誤

さすが大型の機体なので、銃座がこんなところにも(2026.6.13)

日本海軍として初めて尾部銃座を装備したのが90式2号飛行艇だった。
こんなところで一人で敵機から守るのは責任重大、後部から接近する敵機を発見するのも重要な任務だった。寒そうだし、つらい仕事だな・・・。
当時の機関銃ってどれくらいの射程があったのでしょうか。(2026.6.13)


35. 90式艦上戦闘機A2N1~3 昭和7年(1932年)

昔の戦闘機のイメージってこんな飛行機だった。(2026.6.13)


機体に描いてある字から戦争の影響が見える(そりゃ戦闘機だからね・・・)


当時アクロバット飛行は見世物的な位置付けで、サーカスと揶揄され、源田サーカスの一員だった源田実海軍大尉(当時)が終戦後、航空幕僚長になりブルーインパルスの誕生になっていった。(2026.6.13)
36. 91式戦闘機 昭和6年(1931年)

機首に大きな空冷星型エンジン、数えてみると9気筒エンジンだ。

胴体に大きく書かれた「愛國」の文字、そして機体後部に書かれた数字と(岐阜)の文字。
調べたら、満州事変以降、個人、地域、企業、学校などが国防献金等として集めたお金を軍に供出し軍用機を献納することが全国で行われ、陸軍では「愛国号」、海軍では「報国号」と呼ばれていたそうです。
30. 88式偵察機に書かれていた「愛國」30 (女学生)の意味がやっと分かりました。
(陸軍に献金され、30番目に命名、団体名が学校関係者だったみたいです)
35. 90式艦上戦闘機にも「報國」14 三谷號と書かれていました
名城公園に愛国号の痕跡が

たまたま、名古屋城の周りを散歩してたら、名古屋城の北側にこんな看板があり、空襲で焼失する前の名古屋城と共に愛国号の写真を見つけました。(写真を見ると、愛国 49が確認でき、尾翼からは九二式偵察機の文字が読み取れます、昔、名古屋城の敷地には陸軍の駐屯地や練兵場などがありました)(2026.7.10)

空冷9気筒エンジンだとはっきりわかります。


実戦に一度も参加していない戦闘機があるんだ、それはいい事なんだけれど。

37. 93式双発軽爆撃機 キー2 昭和8年(1933年)

よく見ると機首に銃座があり、空気抵抗を一番受ける場所に設置されているような気がする。


機首先端の銃座にいた射撃手は空気抵抗をもろに受け、風雨や寒さに耐えるのが大変だったのでは。

それは、後部の銃座にいる射撃手も同じような環境だったのかな、今じゃ考えられない。

尾翼に九三式双発爆撃機の文字が。

3人がそれぞれ孤独な状態で任務に当たったんだろうね。(2026.6.13)

93式を改造した鵬型通信機(南進号)は、機首にあった銃座を無くし流線型になり、操縦席も長い風防が設置されて違う飛行機に見えます。(気になる人は鵬型通信機(南進号)で検索してみてください。
38. 93式中間練習機 K5Y1~5 昭和8年(1933年)

「赤トンボ」と呼ばれた練習機、黄色なのに何で「赤トンボ」?
それまで使用していた練習機が老朽化し、実戦で使われていた飛行機と性能差が生じたため、新たにつくられたのが93式中間練習機だとか。(2026.6.13)

練習機だが実戦にも参加しており、布張りの機体はレーダーで探知するのが難しく、アメリカ軍に損害を与えたとか。(金属製の機体だと探知されやすいのか、なるほど・・・)(2026.6.13)

空技廠とは、海軍航空技術廠(かいぐん こうくう ぎじゅつしょう) の略称で、旧日本海軍の航空機や航空兵器の研究開発・試作・改良を担った技術機関の事だとか。
終戦間際には、特攻作戦にも使われたとか。(2026.6.13)
39. 94式(2型)水上偵察機 E7K1~2 昭和8年(1933年)

海に囲まれた日本は水上機の生産が多く、性能もアップデートしていったらしい。(2026.6.13)

機首に備わるエンジンも小さくなった気がする。(2026.6.13)

航続距離が大幅に伸びたため?、3座機になっている。(2026.6.13)

海軍の要求により、3座機になり(2型)は長時間の飛行に対応するため、前後席どちらでも操縦できるようになっているそうです。(これでパイロットの負担を減らすことが出来たのか・・・)(2026.6.13)

ドイツがライセンス生産を要求するほどの性能だったらしい。(ついに日本の技術もそこまで来たのか)(2026.6.13)
あいち航空ミュージアム ⑪ 名機百選 40~49 へ続く
