あいち航空ミュージアム ④ 実機の展示 YSー11・MUー2・零戦・八〇式名市工フライヤー

航空機

YSー11

2階のフロアから見下ろすと、一番大きな機体がYSー11。(2026.2.26)

戦後日本はGHQにより航空機の研究・開発・製造が中止されていたが 、その後、航空機開発が再開され、第2次世界大戦後に日本のメーカーが開発した初めての旅客機がYS-11だった。(2026.2.26)

YSー11はワイエスーいちいちと呼ぶらしい、その理由は国産飛行機を開発するために、1957年(昭和32年)(財)輸送機設計研究協会が設立され、輸送機設計研究協会の輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)とか。

2022.7.29に訪れた時はF-86F セイバーがありました。

展示してある機体は、名古屋空港で初飛行した戦後初の国産旅客機YS-11で、VIP専用の輸送機として2017年5月29日まで使用されており、昭和天皇がご搭乗されたこともあるとか。

昔、乗った時はうるさい飛行機だなと思っていましたが、ロールス・ロイスのエンジンだったんだ。
ロールス・ロイス社製のダートと言われるエンジンは「ダートサウンド」と呼ばれ独得だった。(あの音がダートサウンドだったんだ、当時はうるさいとしか思えなかった・・・)
クルマのロールス・ロイスには乗れないが、飛行機で乗っていた(ちょっと自慢?)

エンジンってこんな風に開くんだ、背後はゼロ戦の展示に替ってます。(2026.2.26)

これがダートサウンドを発生するロールスロイスのエンジン(2026.2.26)

試験機1号機は、三菱重工業小牧工場で最終組立が行われ、名古屋空港から初飛行を行ったので、YSー11にとって名古屋は故郷になるのかな。

にらめっこ・・・。

操縦席の窓、こんな風に開くんだ、風圧とか大丈夫・・・。よく見たら左右の窓が開いてる。

こんなに接近して見れるのもミュージアムだから、航空機関係者でもない限り、こんな風に見る事ことない。

美保基地 第403飛行隊の部隊マーク、「因幡の白兎」から、白兎とそれを救った大国主をモチーフになっている。「52-1152」号機は2017年5月29日、美保基地から名古屋小牧基地にラストフライトし、退役。2017年11月30日に開館した「あいち航空ミュージアム」で展示されている。

YSー11は、戦後初めて日本のメーカーとして設立された日本航空機製造が開発した旅客機
全長:26.3m、全幅:32.0m、全高:8.98m、エンジン:RRダートMk542-10K(3,060shp)、最大巡航速度:546km/h、最大航続距離:1,090km、離陸距離:1,280m、着陸距離:668m、座席数:64席、運航乗員数:2名、初飛行年月日:1962年8月30日、初就航年月日:1965年4月1日、生産機数:182機

MUー2

三菱重工業が1960年代に開発した双発ターボプロップ機で、日本初のビジネス機として誕生。
世界70か国以上に762機が導入された戦後日本で最も成功した多目的小型機なんだって

上から撮ると、どこか隠れてしまうMUー2、隣のYSー11大きくて目立つため、ひっそりとした存在だが、戦後日本で最も成功した航空機と言われ、海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊でも採用され、アメリカでは民間でも愛好家も多く、未だ現役で運用されているそうです。(2026.2.26)

どこも隠れてない写真がありました、2026年6月から2027年1月末までリニューアル工事のため休館しますが、工事期間中も、工事の工程上可能な限り、2階及び屋上展望デッキを開館する日があります、上の写真は2026年6月13日の開館日に撮影しました。(1階の展示物は見れないので上から見学するだけになります、開館日はホームページで調べてね)

最高巡航速度は時速555km、離陸滑走距離570mの性能、海外にライバルが多いが、ライバルに比べてスピードが速く、短距離で離着陸(STOL)ができたため人気があったとか。

零戦

 ゼロファイターの名前で世界中に知られる日本の戦闘機、ここに展示されているのは実機ではなく、零戦52型の実寸模型だそうです。(実物知らないのでこれだけでも自分は充分ですが)。
 制作したのは、佐賀県にある有限会社馬場ボデーの馬場憲治氏で、約2年を掛けて制作したとか、同氏は他にも7年半を費やし約22mのエッフェル塔などを工場内の敷地に作るなど、すごい板金塗装職人なのです。(尚、写真を撮影したのは2022年7月29日で2026年2月26日に訪問したときは展示場所が変更になってました。)

いかにゼロ戦が優れていても、一度出撃したら生きて帰れる保証なんてない。(2022.7.29)

映画「人間の翼」「君を忘れない」「永遠の0」などの作品に使用されたんだって、どこかで見てる人も多いかも。

ステップが設けられていて、コクピットを上から見れるようになってます。(2022.7.29)

 この狭いコクピットで当時のパイロットは孤独と戦い、空中戦を行い敵機を撃墜し、時には特攻で自爆攻撃を行った。生きて帰還できることなんて二の次だった時代があって、今の自分たちがいます。
 そんな覚悟は自分にはとても出来ません。

こんなに細かいところまで一人で造り上げた馬場氏すごい。

零戦を設計したのは、ジブリ作品「風立ちぬ」の主人公のモデルにもなった、堀越二郎で1982年(昭和57年)、1月11日死去。享年78。没後、従四位が追賜された。

八〇式名市工フライヤー

名古屋市立工業高校の生徒たちが制作し、2017年に三重県の飛行場で数秒間機体を浮かせ、70メートルの飛行に成功。高校生による動力付飛行機の製作は日本で初めてだったとか、その貴重な機体が展示してある。(2026.2.26)

高校生が飛行機を作り、実際に飛ぶなんてすごい挑戦だ(2026.2.26)

参考にしたのは明治時代の飛行機研究家、二宮忠八(ちゅうはち)が考案した「玉虫型飛行器」、名古屋市立工業高校の「飛行機同好会」のメンバーが7年の歳月をかけて、初飛行までこぎつけたそうです。
明治時代に飛行機の研究家がいて、現代でも参考になるほどの物があったなんて。(先人は凄い)

二宮忠八は1866年(慶応2年)現在の愛媛県八幡浜市に生まれ、カラスの飛ぶ様子から飛行器の研究を続け、アメリカのライト兄弟の有人動力飛行の成功より12年前に、ゴム動力のカラス型の自作模型飛行器を完成させ、飛行実験に成功した。その後、人が乗れる飛行器を研究したが戦争になり、理解が得られずしばらく中断している間にライト兄弟が成功。ライト兄弟の真似をしたくないと制作を断念したそうです。(そんな人が明治時代にいたなんて・・・)

八〇式名市工フライヤーは、2017年(平成29年1月28日、三重県津市香良洲町(からすちょう)にある民営飛行場で、5回目の挑戦で1mほどの高さを、5秒間70mほど飛び、無事着陸、高校生たちの7年に亘る卒業生から引き継いだ悲願を達成した。(2026.2.26)

明治時代に研究された飛行器の原型をもとに、高校生の夢が飛んだ。(2026.2.26)
飛行器」とは二宮忠八本人の命名によるもので、あえて「飛行機」とはしませんでした。

あいち航空ミュージアム ⑤ ブルーインパルス展示 へ続く

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