あいち航空ミュージアム ⑫ 名機百選 50~59

航空機

50. 三菱雁型“神風” キー15 昭和12年(1937年)

ボディに「KAMIKAZE」と「朝日新聞社」の社旗が描いてある。
陸軍の試作機を民間型の三菱「雁」型通信機として朝日新聞に払下げ、「神風」と名付けられた。

三菱「雁」型エンジン:ハ8 空冷星型9気筒550馬力

キャノピーはこんな風に開くんだ、開いた状態で展示してあるのがありがたい。(2026.6.13)

神風号の記録は当時としては驚異的な世界新記録だったらしく、当時のニュース映像を見ると到着したロンドンで大歓迎されていました、そんなすごい航空機が日本にあったなんて知りませんでした。まさに神風だ。(2026.6.13)

51. 航空研究所試作長距離機(航研機) 昭和12年(1937年)

戦闘機や爆撃機などは明らかに違う航空機、しかも認定証なども展示されている。

東京帝国大学航空研究所(航研)は大学の付属研究所の一つとして設立され、世界記録を樹立できる飛行機を製作することを企画、制作された航空機だった。(2026.6.13)

なんだかトビウオが羽を広げたような機体です。(2026.6.13)

長く大きな翼と巨大な機体に比べ、乗員は2名だけ?操縦士、副操縦士、機関士の3名が搭乗したそうです(2026.6.13)

唯一、説明書と認定証が一緒に展示されてます。(2026.6.13)

ここにも世界新記録を打ち立てた航空機があった。(2026.6.13)

航空宇宙技術遺産、日本航空宇宙学会、初めて知りました。
しかも認定されたのが、まだ最近ですね。(2026.6.13)

戦後禁止されていた航空機の製造が、海外のメーカーにも負けないような成果が出せるようになってきたのかな。

52. ダグラスDCー3輸送機 昭和13年(1938年)

軍用機などが多い展示の中で目立つ無塗装の機体イギリスではダコタの愛称で呼ばれた。

DCー3を題材にした映画があることを知りました。「飛べダコタ」第2次世界大戦から5カ月しかたっていない1946年(昭和21年)1月14日、佐渡島にダコタが不時着した、敵国だった英軍機を救うために複雑な感情の中、島民が協力し滑走路を造り、無事帰還した。そんな実話があったなんて・・・。

DCー3には50万個以上のリベットが使用されているとか、そのリベットが再現されているのも見逃せない。て言うかとんでもない作業だ、ご苦労様でした。(2026.6.13)

もちろんエンジンだってこの通り、自分が作った訳でもないのに・・・。(2026.6.13)

まるで本物を見ているような鈍い輝き(本物見たこと無いんだけど、本物に見えちゃう)

タイヤの溝やリンク機構まで手を抜くことなく制作してある、もうどこまで作ってるの・・・。

驚くことにDCー3はまだ現役で飛んでいる機体があるとか、すごい長寿命な航空機だ、いつかどこかで見れるかも。(2026.6.13)

53. 98式直接協同偵察機 キー38 昭和13年(1938年)

直接協同偵察機って何?と思ったら、偵察や観測などを行いながら、前線の地上部隊と連携し地上攻撃(近接支援)なども行う航空機の事だとか。(2026.6.13)

偵察を行い、爆撃を行い、空戦も行なうなんて、もう何でも出来る奴だ。(2026.6.13)

54. 99式艦上爆撃機 D3A1~2 昭和13年(1938年)

名称にある99式は採用年の皇紀2599年に由来するとか、○○式って何から付けるんだろうと思ったら、日本の神話で神武天皇が即位した(西暦紀元前660年)を元年とする日本独自の暦からきている。(今まで知りませんでした・・・)現代の自衛隊は西暦から○○式になってるようです。(2026.6.13)

戦争初期の99式の急降下爆撃などによる戦果は非常に高かったが、連合国軍の性能がアップしてくると、防弾装備などが貧弱なため苦戦が続き「窮窮式(九九式)棺箱」なんて呼ばれることもあったとか。(2026.6.13)

愛知時計電機の本社前を通るときに思い出す飛行機が増えた。

55. 99式双発軽爆撃機 キー48 昭和14年(1939年)

日本陸軍最後の軽爆撃機、登場した頃は戦闘機の追撃を振り切るほどの高速性能だったとか

キャノピーが複雑な動作をしています。

金魚」とか「オタマジャクシ」などの愛称で呼ばれたそうです。軍用機にそんなカワイイニックネームが。金魚に爆撃されるなんてたまったもんじゃない。(2026.6.13)

2000機に近い機体が生産されたのは、日本の航空機として多いのかな・・・。しかし、戦争後半では撃墜されることも多く、特攻機として使用されるようになってしまったようです。(2026.6.13)

56. ニッポン号(96式中型陸上攻撃機)G3M2 昭和14年(1939年)

毎日新聞が国産の航空機として世界一周を目指して、96式中型陸上攻撃機を改造したのが「ニッポン号」

50.で紹介した、三菱雁型“神風”は朝日新聞が東京からロンドンまで飛び注目を集めたので、毎日新聞はそれを上回る記録を打ち立てるために世界一周を目指したとか。新聞社の威信をかけた挑戦だった(2026.6.13)

見るとこ多すぎで、少しずつしか進まない、あと何時間必要?(2026.6.13)

昭和14年(1939年)に世界一周飛行に成功、当時としては前例のない大飛行だったとか。

1939年(昭和14年)8月26日、羽田飛行場で7人の乗員を乗せ、東回りで、北米大陸-南米大陸-アフリカ-ヨーロッパ-中東-インド大陸を経由して10月20日に日本に到着、国産の航空機として初めて世界一周した。(9月1日にドイツがポーランドに侵攻して第二次大戦が始まり、ヨーロッパのフランスイギリス、ドイツは止めたそうです)

ニッポン号による世界一周とアメリカの女性飛行士を題材にした話が書籍になってるそうです、「翼をください」作者「原田マハ」さんだって、そのうち読まなきゃ、そのうちね・・・いつ・・・。(2026.6.13)

57. 100式司令部偵察機 キー46 昭和14年(1939年)

100式司令部偵察機の100は、零戦と同じ皇紀2600年の正式採用に由来するとか。
当時の陸軍と海軍は仲が悪く、すべてに対立し対抗意識が強かったとか、そのため海軍では零式、陸軍では100式と呼ばれるそうです。
(2026.6.13)

100式司令部偵察機はⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型があり、展示されているのは最高速からⅡ型と思われます。
(違ったらゴメンナサイ)Ⅲ型が有名らしい。(2026.6.13)

1093機が生産されたⅡ型は各戦線で高速を利して大活躍、「空の通り魔」なんて呼ばれたらしい。

偵察機である100式司令部偵察機はその高速性からか、Ⅱ型以降は非武装だったとか。

58. 100式輸送機(MCー20) 昭和15年(1940年)

九七式重爆撃機を原型として輸送機として、開発されたのが100式輸送機(MCー20)

輸送機として主翼の位置を中翼から低翼に変更されている。(2026.6.13)

操縦席の内部が見えますが、これ以上中が見えないのが残念。(2026.6.13)

もうちょっと上手に写せたら・・・。(2026.6.13)

59. 零式水上観測機 F1M1~2 昭和11年(1936年)

当時の大型戦艦の主砲の砲弾は40km前後であり、水平線のはるか向こうの敵戦艦に着弾したか確認できなかった、そのため航空機により着弾の確認と相手位置などの情報を伝える必要があった、その使命を達成するために開発されたのが零式水上観測機だった。(2026.6.13)

敵の艦船も位置を確認できないようにするため、航空機で妨害するので空中戦での性能も求められたそうです。(2026.6.13)

40kmも先の移動する戦艦の位置は目視で確認出来ないため、観測機着弾を確認、次にどこに撃てばいいのか連絡するのはすごく重要な任務だ。しかも敵機の攻撃を受ける危険性もあり、まさに戦争は命がけだ。(2026.6.13)

空中戦なんて映画やドラマでしか見たことないけど、自分の命は自分で守るしかない・・・。

射程の長い大砲を持つ軍艦には必要な航空機だった。見えない程遠い軍艦を砲撃するのは簡単じゃなかった。(2026.6.13)

 ちなみに、名古屋市中区にある愛知縣護国神社の境内の森の中に「昭和の森」があり、戦艦大和の主砲弾が祀られています。砲弾は45口径46センチ砲の九一式徹甲弾で、射程42km、長さは1955mm、重量は1460kgあるとか。 この砲弾は現存する本物と言われてます。(2019.2.20)

あいち航空ミュージアム ⑬ 名機百選 60~69 へ続く

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