
あいち航空ミュージアムに入ると大きくアピールするパネルがお出迎え。(2026.6.13)

全て25分の1に統一され、機体の大きさが比較できるようになっています。(2026.6.13)
- 1. アンリ・ファルマン1910年型複葉 明治43年(1910年)
- 2. 会式(徳川式)1号機 明治44年(1911年)
- 3. ブレリオⅪ(11)ー2ビス単葉機 明治44年(1911年)
- 4. カーチス水上機 大正元年(1912年)
- 5. 奈良原式 4号“鳳”号 明治45年(1912年)
- 6. ルンプラー・タウベ単葉機 大正3年
- 7. 伊藤式 恵美1号 大正4年(1915年)
- 8. 横廠式ロ号甲型水上偵察機 大正6年(1917年)
- 9. モ式 6型 偵察機 大正6年(1917年)
- 10. ニューポール24(甲式3型)戦闘・練習機 大正6年(1917年)
- 11. ソッピース・パップ戦闘機 大正7年(1918年)
- 12. サルムソン2A2(乙式1型)偵察機 大正8年(1919年)
- 13. スパッドS13(丙式1型)戦闘機 大正8年(1919年)
- 14. 中島式5型練習機 大正9年(1920年)
- 15. アヴロ504K練習機 大正10年(1921年)
- 16. ファルマンFー60(丁式ていしき2型)爆撃機 大正10年(1921年)
- 17. Fー5号飛行艇 大正10年(1921年)
- 18. 10式艦上戦闘機 大正10年(1921年)
- 19. 10式艦上雷撃機 大正11年(1922年)
1. アンリ・ファルマン1910年型複葉 明治43年(1910年)

フランスから輸入したアンリ・ファルマン複葉機は明治43年(1910年)12月19日代々木練兵場(現在の代々木公園)で徳川好敏陸軍大尉が午前中に約4分、飛行距離3000m、日本での初飛行に成功した、その日の午後、日野熊蔵大尉もドイツ製のグラーデ単葉機で1分20秒、約1000mの飛行に成功し日本初の“公式”の動力飛行となった。(尚、二人の銅像が代々木公園内に並んで建てられているそうです)

機体を繋ぐワイヤーなど細かい部分まで再現され、1機目から見るところが多すぎです。(2026.6.13)

ライト兄弟の飛行機と似ているが、こちらは座席があり、補助翼を採用したり、車輪があるなど違いがあるそうです。(2026.6.13)

エンジン付きの航空機として日本で初めて飛行した機体で、12月19日は「日本初飛行の日」と定められた。パイロットの徳川大尉は徳川家の一族、清水徳川家の8代目当主になるとか。(2026.6.13)
2. 会式(徳川式)1号機 明治44年(1911年)

アンリ・ファルマン複葉機を徳川大尉が改良し、設計したのが会式(徳川式)1号機(2026.6.13)

下の翼の面積が小さくなり、操縦席に風除けが着くなど進化し、アンリファルマン機にくらべ速力で19km/h、高度で15m上回る記録を出したそうです。(2026.6.13)

当時の日本では材料を集めることに苦労し、工作機械の精度も悪く試行錯誤の連続だったとか。


徳川大尉と日野大尉がフランスから買ってきた飛行機は練習を重ねるたびに破損、故障するため使えなくなることを考え、アンリ・ファルマン機を参考に改良を加え完成、臨時軍用気球研究会の「会」から会式と名付けられた。(2026.6.13)
3. ブレリオⅪ(11)ー2ビス単葉機 明治44年(1911年)

エンジンとプロペラの位置が前方になり、進化したのがわかります。(2026.6.13)

鳥を参考にしてるような機体で、我が国初めての航空殉職事故も記録している。(2026.6.13)

ホント細かいところまで作ってあります。もっときれいに撮影出来たらいいのに。(2026.6.13)

英仏海峡は最も狭い所で34kmなので、最低でも34km以上飛ばないと・・・。(2026.6.13)
4. カーチス水上機 大正元年(1912年)

そんな昔に陸からではなく、水上から離着水する航空機が有ったんだ。(どっちが難しい?)

グレン・ハモンド・カーチスは自転車ショップを開店し、自転車レースで賞を獲得、その後オートバイを製造し、ライダーとして頭角を現し、自分で設計したバイクで1906年に137mph(220km/h)のスピードを記録。(20年間破られなかった)
その後、飛行機を開発するようになり、有名なライト兄弟と裁判で争うことになったりしたらしい。

二人乗り?座席を腰で左右に動かし補助翼を操作するとか。(2026.6.13)


座席の前にあるハンドルみたいなのは操縦輪なんだ、操作方法が複雑で体全体を使って操作するみたいだ。(2026.6.13)
5. 奈良原式 4号“鳳”号 明治45年(1912年)

明治45年は明治天皇が崩御し、大正に年号が変わり、タイタニック号が沈没した年。(2026.6.13)

日本初の民間国産機として初飛行に成功した機体。

男爵なんて爵位があった頃の飛行機で、有料公開飛行していたんだ。(2026.6.13)
6. ルンプラー・タウベ単葉機 大正3年

ほんと鳥みたいな機体で、なんだかアニメに出てくる飛行機みたい。(2026.6.13)

ほとんどの人はチラ見ですが、こんなに精密に作ってあるのに見ないなんてもったいない。(2026.6.13)


鳥の形はカッコだけではなかった、性能も抜群だったのか、やっぱり自然には敵わない。
7. 伊藤式 恵美1号 大正4年(1915年)

どうしても名前の由来が気になってしまう、恵美1号、奥さんや愛人、恋人などか思ったら、生まれ故郷に恩返しの意味があるとか(大阪浪速区の恵美須町(えびす)にちなんでいるとか)ゴメンナサイ。

とんでもなく苦労しながら、飛行機に情熱を注いだ人らしい。
当時は資料だってほとんどない状態だよね(2026.6.13)
8. 横廠式ロ号甲型水上偵察機 大正6年(1917年)

この辺りになると、形だけは現代でも見るような飛行機になってきました。(2026.6.13)



性能もすごい進化して2600kmのコースを飛行するなんて・・・。横廠って何、と思ったら、横須賀海軍工廠のことだった。(2026.6.13)
9. モ式 6型 偵察機 大正6年(1917年)


もっと拡大していろんな角度から見てみたいけど、ショーケースの中に入っていて、見れる方向は限定されるし、ガラスの反射もあり綺麗に撮るのは難しい。(2026.6.13)


原型がアンリ・ファルマンの弟、モーリス・ファルマンが制作しているから似ているんだ。(2026.6.13)
10. ニューポール24(甲式3型)戦闘・練習機 大正6年(1917年)

大正6年(1916年)は第一次世界大戦の真っただ中、12月に夏目漱石が亡くなる。(2026.6.13)


最大速度が180km/hになるなど、どんどん性能アップしてる。(2026.6.13)
11. ソッピース・パップ戦闘機 大正7年(1918年)



2時間8分の飛行時間に、連続456回の宙返りと5回の逆宙返りの世界記録を達成したそうですが、それに耐える機体もすごいけど乗り物酔いとか無いのかな。(2026.6.13)
12. サルムソン2A2(乙式1型)偵察機 大正8年(1919年)

ん、サルムソンのポスターをトヨタ博物館で見たことあるぞ、と思ったらサルムソンは航空機や自動車の製造も行なうメーカーだった。(自動車メーカーだと思ってた)(2026.6.13)

愛知県長久手市にあるトヨタ博物館に展示されていた、おしゃれなサルムソンのポスター(クルマはサルムソン・タイプD)(2019.4.19 撮影)

どこまで作ってるの、すごいな・・・。これ見ないともったいない、こだわりが詰まってます。

後方から接近する敵機を撃墜したのかな。(2026.6.13)



サルムソン2A2は第一次大戦末期のフランスの主力偵察機で、岐阜県各務原で量産された最初の飛行機で、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に資料を基に復元した機体が展示してあります。(2018.9.18)
13. スパッドS13(丙式1型)戦闘機 大正8年(1919年)

まるでおもちゃのような塗装と可愛い機体(2026.6.13)


エンジンがイスパノスイザ、イスパノスイザの自動車がトヨタ博物館に展示してあります(飛行機のエンジンも作ってたんだ)(2026.6.13)

イスパノスイザ 32CV H6b(1928 フランス)航空機技術を取り入れた世界初の倍力装置付き4輪ブレーキを装備していた。(トヨタ博物館で見た時は、航空機も作ってたなんて知らなかった)(2024.8.18)
14. 中島式5型練習機 大正9年(1920年)

操縦席の前にあるエンジンから横に延びる排気管は、パイロットに排気が当たらないようにするためかな?(2026.6.13)


拡大してみないと判らないほど細かいところまで作ってあります。(2026.6.13)


中島飛行機は、すごーく簡略化すると、のちの富士重工、すなわちスバルとなる。(2026.6.13)
15. アヴロ504K練習機 大正10年(1921年)

アヴロ504Kは第一次世界大戦末期に実戦投入された一人乗りの戦闘機(2026.6.13)

なんだか垂直尾翼だけがおしゃれな塗装(2026.6.13)

操縦席の上の主翼の真ん中にある黒い筒状の物は何?(2026.6.13)

ドイツのツェッペリン飛行船による空襲を阻止するのが役割だったとの説も、ツェッペリン飛行船が飛んでた頃の飛行機なんだ。(2026.6.13)
16. ファルマンFー60(丁式ていしき2型)爆撃機 大正10年(1921年)

第一次世界大戦の末期に爆撃機として計画されたが、戦争が終わり旅客機に改造された。(2026.6.13)

日本陸軍では再度、爆撃機として依頼し、新型双発重爆撃機として購入、丁式二型爆撃機として名付けられたそうです。(2026.6.13)

ちょっと不気味な感じもする爆撃機だ。(2026.6.13)

操縦席が外にあり、パイロットは雨風にさらされて最悪だったらしい。そりゃ、飛行機の高度で操縦席が外なんて極寒の状態じゃないの、目的地に到着する前に凍死しそう、冬の富士山上空より高い所を飛んでると思えば、その過酷な状況が想像できます。椅子が一脚なのでパイロットも交代なし?(交代できるのでしょうか?)なんちゅう労働条件や。(2026.6.13)

あいち航空ミュージアムで見てきた航空機の中では、これまで一番大きな機体ですが、これでどこを爆撃するつもりだったのでしょうか。(2026.6.13)

17. Fー5号飛行艇 大正10年(1921年)

Fー5号飛行艇になると、もう見た目は船と航空機の合体みたいになってきました。
しかも、この頃の機体は木造、プロペラも木製なのが当時の飛行艇のあたりまえ。(2026.6.13)

操縦席の後ろにこんな大きなプロペラが回っていたら、生きた心地がしない。
しかもエンジンむき出し、騒音だって相当だったんじゃない。

操縦席が機内になるのは、いつからなんでしょう。


昭和初期まで海軍の主力飛行艇だったのか。(2026.6.13)
18. 10式艦上戦闘機 大正10年(1921年)

最初の航空母艦「鳳翔」の建造と同時に開発された、日本海軍初の国産艦上戦闘機。

動力にはイスパノ・スイザ製エンジンを三菱で国産化

初めて航空母艦に着艦した戦闘機だった(当時は命がけの挑戦だったに違いない)。(2026.6.13)
19. 10式艦上雷撃機 大正11年(1922年)

日本海軍で唯一の三葉機、羽が大きく格納庫で場所を必要とし、失敗作だったとか。

翼がたくさんあればいいものでは無いらしい、逆に空気抵抗になったのか。(作ってから気づいたのか?)高さがあるので、確かに場所取るよね。(2026.6.13)

魚雷で攻撃するから雷撃機?ほかにも三葉機ってあるのかな?(2026.6.13)
あいち航空ミュージアム ⑧ 名機百選 20~39 へ続く
