あいち航空ミュージアム ⑭ 名機百選 70~79

航空機

70.  艦上攻撃機“天山” B6N1~3 昭和17年(1942年)

天山、初めて知りました、九七式艦上攻撃機の後継機として開発された。(2026.6.13)

大きな魚雷を抱え敵艦に攻撃したが、損失も多かったとか。(2026.6.13)

操縦員1名、偵察員1名、電信員1名が搭乗していた。(2026.6.13)

大戦末期には特攻機として使用されたとか。(2026.6.13)

71. 局地戦闘機“雷電” J2M1~6 昭和17年(1942年)

局地戦闘機って何?と思い調べたら、特定の限られた地域で使うための戦闘機で、高高度まで早く上昇する能力や、爆撃機に追いつける速力爆撃機に致命傷与える火力など迎撃に特化するため航続距離は短めだとか。てことは、既にBー29などが本土に来ていたってこと・・・(2026.6.13)

局地戦闘機としての性能を満たすため、大きなエンジンを搭載したためずんぐりした機体になったそうです。(2026.6.13)

機体に比べエンジンが大きいため、前方が見えず離陸が難しく、トラブルも多い機体だったが、性能は良かったらしい。(2026.6.13)

江戸時代の天下無双の力士「雷電」とは関係ないみたい。(2026.6.13)

72. Aー26長距離機 キー77 昭和17年(1942年)

朝日新聞社が皇紀2600年(昭和15年)に東京―米ニューヨーク間の無着陸飛行を計画、そのために設計された長距離飛行機が「Aー26長距離機」だったが、戦時下になり計画は中止。(2026.6.13)

Aー26は2機製造され、2号機はドイツへ向かう途中で消息を絶ち、1号機が満州の新京~白城子~ハルピンの1周865Kmのコースで世界記録に挑戦し世界記録を作ったが戦時下で公認されなかったとか。(2026.6.13)

長距離を飛ぶためか、なんだかスマートな機体になってます(2026.6.13)

せっかく飛んだのに、記録されなかったなんて
東京~ニューヨークなんて今でも遠い、昭和17年にそれを目指したんだ。(2026.6.13)

73. 4式重爆撃機“飛竜” キー67 昭和18年(1943年)

もう名前からしてカッコイイ、飛ぶ竜と書いて「飛竜」だもん。(2026.6.13)

日本の生んだ傑作機の1つ優秀な爆撃機だとか、見るだけでもカッコよさがわかる。(2026.6.13)

機首の爆撃手席部分は鋼管溶接の特殊骨組みで、重要部分には防弾ガラス、防弾鋼鈑、防弾タンク、防火、消火装置などの装備が施されているとか(やっと乗員の安全が考えられてきたのかな・・・)

機首の銃座も操縦席も視界が良さそうな飛竜。(2026.6.13)

銃座がこんなところにも。(2026.6.13)

もちろん後部にも銃座があり、後方の守りに、しかし戦時中で物資の少ない日本で高性能を発揮するのは難しく、無事帰還できたのは少ないらしい。(2026.6.13)

もう何でもできちゃう優等生みたいな航空機だったが、登場した時期が遅かった(2026.6.13)

74. 4式戦闘機“疾風” キー84 昭和17年(1942年)

零戦、飛燕、隼、そして「疾風」それほど戦闘機を知らない自分でも名前は聞いたことがある。(2026.6.13)

日本では故障が多く、実力を発揮出来ない事が多かったが、戦後、アメリカ軍がテストしたところ、ポテンシャルの高さに驚いたとか(テストには米国製の点火プラグが追加、高オクタン価の燃料が使用されるなど条件が違うらしく、ここでも日本の物資の少なさが影響している)(2026.6.13)

75. 夜間戦闘機“月光” J1N1 昭和18年(1943年)

月光、なんてカッコイイ名前、もう名前だけで勝手に強いって思ってます。(2026.6.13)

機首から延びるのは電探と呼ばれるレーダーの一部、レーダーがあるので夜間も飛べたらしい。
(だから月光なのか・・・)(2026.6.13)

当時のレーダーは大型で、操作が複雑で操縦士一人では操作できず、複座の飛行機になるのは当然だった。また、月光に装備されたのは操縦席の背後に装備された斜め銃で、爆撃機の苦手とする後ろ下方から攻撃した(2026.6.13)

撃墜した敵機の印でしょうか。月光は飛来する爆撃機を複数撃墜しており戦果を上げたそうです。

夜になると出撃する「月光」、なんか神秘的なイメージが・・・。(2026.6.13)

76. 艦上偵察機“彩雲” C6N1~3 昭和18年(1943年)

長大な航続性能と、グラマン戦闘機より速い速度で飛べたとか。(2026.6.13)

彩雲も初めて見る機体でした。(2026.6.13)

当時の大日本帝国海軍の航空機において最高速度を記録するなど素晴らしい性能だったが、登場した頃には戦局の悪化により主力艦艇の大半を失い、艦載機として運用されなかったようです。(2026.6.13)

せっかくの高性能も生かせず、終戦を迎えてしまったようです。(2026.6.13)

77. 陸上爆撃機“銀河” P1Y1~6 昭和18年(1943年)

銀河もその存在を知らなかったのですが、スピードや急降下爆撃が可能になるなど素晴らしいスペックの持ち主みたいです。(2026.6.13)

性能はすごいが、ここでも戦時下の物資不足、品質の低下などにより生産が難航し制式化が遅れたとか。(2026.6.13)

日本に資源があったら・・・それは現代でも同じ。(2026.6.13)

78. 局地戦闘機“紫電改” N1K2ーJ 昭和19年(1944年)

紫電を改良して開発されたのが紫電改、紫電に比べて大幅に性能アップしている。
そのためか、紫電改は知ってるが、紫電があったのは知らなかった。(2026.6.13)

紫電改を読むときに「しでんかい」と続けて読むのか、「しでん、 かい」と一旦切って読むのか、紫電の改良だから紫電・改(しでん・かい)になるのかな。(あくまで個人の感想ですが、どっち・・・)(2026.6.13)

実戦で大きな成果を収め、大量に生産する計画だったが、途中で終戦を迎えたらしい。(2026.6.13)

海底に沈んでいた紫電改を展示している「紫電改博物館」が、愛媛県南宇和郡にあるんだね。
世界で4機しか現存しておらず、そのうちの1機が「紫電改博物館」に。(2026.6.13)

なんで終戦間近になって優秀な戦闘機や爆撃機が出てくるんでしょう。(2026.6.13)

79. ロケット戦闘機“秋水” J8M1 昭和20年(1945年)

ドイツのメッサーシュミットMe163(コメート)を元に、日本で製造された唯一のロケット戦闘機。(2026.6.13)

高高度を飛ぶBー29を迎撃するために開発された「秋水」、Bー29の飛ぶ高度まで行く数分で燃料を使いきり、攻撃すると、燃料は残っていないため後は滑空しながら帰還する予定だったとか。(まさに一発勝負みたいな航空機)(2026.6.13)

目的が一つなのでコクピットもシンプルなのかな・・・。(2026.6.13)

燃料を節約するため離陸するときに車輪を落とすので、着陸は胴体着陸になり、また燃料が非常に危険でパイロットや整備員から「恐怖の彗星」と呼ばれ、実験と計画をしているうちに終戦になった。(2026.6.13)

上空までは速いけど、燃料がすぐに無くなり、帰還するときはグライダーみたいに滑空する。
追いかけられたら推進力が無いので逃げようがない気がするんだけど。(やだな
そんな任務・・・)

歴史に、「たら・れば」は付き物ですが、完成していたらどんな戦局になっていたのでしょう。(2026.6.13)

あいち航空ミュージアム ⑮ 名機百選 80~89 へ続く

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