あいち航空ミュージアム ⑯ 名機百選 90~100

航空機

90. YSー11 輸送機 昭和37年(1962年)

戦後初の国産中型輸送機、戦後日本の復興のシンボルマーク的な存在。(勝手な思い込みですが)
1973年までに累計で182機が生産されて、海外13カ国に販売された(2026.6.13)

5人のサムライと呼ばれる設計者により開発された「YSー11」、その5人は「零戦」の設計者「堀越二郎」、日本大学工学部教授・木村秀政、「紫電改」や「二式大型飛行艇」の設計者「菊原静男」、戦闘機・輸送機・練習機・爆撃機などの設計者の「土井武夫」、「97式戦闘機」・「隼」の設計者の太田稔、今まで「名機百選」で見てきた航空機に関わりのある人達だった。(2026.6.13)

昭和39年東京オリンピックの年にデビューし聖火を沖縄から鹿児島、宮崎、札幌へと輸送したので、オリンピアの愛称が付けられた。(2026.6.13)

すぐ横に本物のYSー11の実機が展示してあるのに見てしまう。実機と模型は視線が違い、楽しみ方が違う。(2026.6.13)

機体が大きくなればなるほど、細かいところまで作り込んであり、感心してしまう。(2026.6.13)

この大きな機体を完成させるのに、どれほどの時間が掛かったのか。(2026.6.13)

YSー11の尾翼のロゴデザインはあいち航空ミュージアムの入り口にあった、レオナルドダヴィンチのヘリコプターがモチーフになっている。1952年に「日本ヘリコプター輸送(通称:日ペリ)」として、2機の小型ヘリコプターからスタートしたANA、現在の航空コード「NH」は、この「日ペリ(Nippon Helicopter)」に由来していとか(2026.6.13)

1階フロアに展示してある実機は、2026年6月~2027年1月末の期間は見学できません。ちょっと我慢です。本物と見比べることが出来るなんてそんなにない。(2026.6.13)

 YSあるあるで、機名の呼び方について「ワイエスじゅういち」と読むことが多い気がするが、輸送のY、設計のS、機体番号の最初の案が採用されたので1、エンジンも最初の案が採用されたので1それぞれを合成してYSー11になったので、正式には「ワイエスイチイチ」と呼ぶらしい。
 敗戦国になった日本は戦後、7年間に亘り航空機の開発を禁止され、復興の証としてYSー11は大きな意味を持つのではないでしょうか。(2026.6.13)

91. 三菱MU-2 ビジネス機 昭和38年(1963年)

戦後日本で最も成功した多目的小型機のMU-2、総生産数は764機の生産数を誇る小型ビジネス機のベストセラー(2026.6.13)

名機百選の初めのころの飛行機に比べて、スムーズで洗練されたデザインになっている。(2026.6.13)

STOL(短距離離着陸)の機能を持つMU-2は、通常の旅客機とは異なる翼の使い方をするとか。
どこが違うのでしょう?
(2026.6.13)

MU-2も実機展示は2026年6月~2027年1月末の期間は見学できません(2026.6.13)

ダブル・スロッテッド・フラップとは・・・2枚のフラップで離着陸時に低速でも十分な揚力を得られる仕組みのようですが、トリプル・スロッテッド・フラップもあるらしい。
実機でよーく見てみよう(2026.6.13)

92. 富士FA-200 エアロスバル軽飛行機 昭和40年(1965年)

富士重工業が開発したので車の「スバル」から愛称が「エアロスバル」になったとか。(2026.6.13)

水平対向エンジンを搭載し、アクロバット飛行も出来る。(2026.6.13)

東京~札幌間1000km飛べるんだ、車じゃないけど燃費はどれくらいなんだろう。(2026.6.13)

93. 川崎・ロッキード P2J対潜哨戒機 昭和41年(1966年)

日本の領海を守る守護神とも言える対潜哨戒機、1970~90年代に活躍した(2026.6.13)

写真が下手で、ガラスの反射が・・・どこから撮ればいいのか。(2026.6.13)

景色を見るには特等席?そんなこと言ってる場合ではなく任務です、酔わないのかな・・・。(2026.6.13)

岐阜県の「かかみがはら航空宇宙博物館」に屋外展示してあるP2J、屋外展示は塗装の劣化、雨水や紫外線による影響、昆虫などが巣を作ったりするので機体の維持管理が大変みたいです。(2009.5.15)

94. 新明和PS-1 対潜哨戒飛行艇 昭和42年(1967年)

PS-1が初飛行したのは、1967(昭和42)年10月17日。
PS-1は、潜水艦を探知・攻撃するため対潜飛行艇として開発された。PSとは、Patrol Seaplaneの略(2026.6.13)

潜水艦を探知するため、海面に着水し大型ソナー(水中音波探知機)を海中に下ろして、潜水艦を探知する方式だった(昔は海面に降りないと潜水艦の探知が出来なかったんだ)。しかし、その能力の向上が難しく、また、技術の発展により航空機にレーダーを搭載できるようになり後継機に交代することになった(空中から探知できるようになったんだ)。(2026.6.13)

波高3mでも離着水出来るように開発され、その後のUS-1型救難飛行艇に受け継がれていく。

二式大艇を始め、飛行艇ってカッコイイ、滑走路が無くても空を飛べて水面に離着水出来る。
航空機界の二刀流だ(2026.6.13)

PS-1は23機が製造され、海上自衛隊岩国航空基地で1989年まで運用された。
その技術は後継機に受け継がれ、現在世界でも優れた性能を持つ「USー2」になった。
(2026.6.13)

95. 川崎Cー1輸送機 昭和45年(1970年)

Cー1も機体が大きく、全体を収めるために角度を変えたり、場所を変えたりしてもガラスの反射が写ってしまう。(2026.6.13)

これで中型輸送機、全長29.0メートル、全幅30.6メートル、全高9.99メートルで、乗員5人(2026.6.13)

天井のハッチが開いてる、何か点検するのかな。実際、ハッチから出たらすごい高さだ(2026.6.13)

模型で見てもこの迫力、こんなでかい機体が空を飛ぶのが不思議なくらい。(2026.6.13)

岐阜基地の試作初号機は、銀色の塗装から「銀ちゃん」とも呼ばれ、2025年3月14日にラストフライトを迎え、C-1は2025年4月で退役した。(2026.6.13)

96. 日大式ストークB 人力機 昭和51年(1976年)

人力飛行機「ストーク」は日本大学の学生が卒業研究として開発・研究を行った軽飛行機。
1977年(昭和52年)1月2日、ストークBは2093.9Mを飛び、当時の人力飛行の世界記録を作った、しかし、世界最高飛距離だったが、国際航空連盟が公認ルールを制定する前だったので、未公認の世界記録とか。
(2026.6.13

全長:8.85m  全幅:21m  主翼:21.70(㎡)  全重量:35.9㎏
骨格には軽量木材のバルサ材などを用い機体に和紙を使って、この大きさで35.9kgしかない
すごい工夫と試行錯誤の結果だ。

ストークとはコウノトリの事で命名したのは、YSー11で紹介した「5人のサムライ」と呼ばれた一人の、木村秀政日本大学教授(鳥人間コンテストの第1回大会〔1977年〕の解説も務める

その後の「鳥人間コンテスト」の人力飛行機のきっかけになったとか。
現在の「鳥人間コンテスト」は記録更新がすごいことになってる。現在の人力飛行機歴代最高記録はなんと、2023年大会の69.682km、人力でそんなに飛べるなんて、この記録を破るのはどこのチームだ・・・(2026.6.13)

97. 三菱F-1戦闘機 昭和52年(1977年)

三菱F-1は1977年6月16日に初飛行した戦後初の国産ジェット戦闘機で、国産初の超音速ジェット練習機T-2をベースとして開発された単座の支援戦闘機
対地・対艦攻撃が任務だが、当時の政治的配慮から支援戦闘機と呼ばれることになったとか。
2006年3月9日に築城基地第6飛行隊にて最終フライトを行った。(2026.6.13)

海外の戦闘機などで見るサメみたいな顔のマーキング、名前とかあるのかな・・・。(2026.6.13)

エルロン操作って何?(2026.6.13)

98. 三菱MUー300 ジェットビジネス機 昭和53年(1978年)

三菱が開発し販売したビジネスジェット、戦後の時代も遠くになりデザインも洗練され、見た目にもスマートな機体。(2026.6.13)

性能は良かったが、他社機の墜落事故をきっかけに審査が厳しくなり、型式証明取得に手間取り状況が悪化、販売が不振になり販売の権利を売却することに。
MUー300も実機が展示されているので、本物と見比べる事が出来る(2026.6.13)

実機はしばらくおあずけです。(2026.6.13)

なんで日本の航空機は上手くいかないのだろう・・・。(2026.6.13)

99. 川崎・MBB BKー117ヘリコプター 昭和54年(1979年)

救急医療、消防・防災、警察、報道、人員輸送、物資輸送など多用途で活躍する機体だが、詳しくは知らない。ドクターヘリで飛んでいるのはよく見るけど。(2026.6.13)

1983年に初号機納入、全世界で2,150機を達成したベストセラー機(2026.6.13)

無関節型とは?他のは関節があるのかな?(2026.6.13)

100. ボーイング767ー300 輸送機 昭和57年(1982年)

名機百選の最後に大物が待ってました、25分の1と言えども巨体です。(2026.6.13)

こんなに大きな機体でも、機体規模としては中型機に分類されるそうです。(2026.6.13)

名機百選のラスボス的存在感、最初に見たアンリ・ファルマンの複葉機が紙飛行機に見えてきます。
航空機の歴史と技術の進化は一旦ここで完了です。
しかし、これからも進化して次の名機百選が続くはずです。
(きっと続くよね・・・)

機内の座席の配置が機体のカットモデルで見えるようになってます。
いつかはファーストクラス(無理だよね・・・)(2026.6.13)

最初の飛行機が飛んでから、失敗を繰り返し、戦争など暗い時代を経て、今では安全に多くのお客さんや荷物を運ぶ時代になり、航空機は社会生活に欠かすことの出来ないインフラの一部になりました。

なんだか存在感ありすぎの巨体です、どうやって作ってるんだろう、大きいから手抜きが出来ない。

ズームしないと判らないようなところまでしっかり作ってあります。(2026.6.13)

もっと近づいて見たくなります、どれだけ時間かけてるの・・・。(2026.6.13)

いつか日本の空、世界の空を全て国産で造られた飛行機が飛ぶ日が来るのでしょうか。
それが実現したらいいのに、これからも航空機の進化は止まらないでしょう。

 これで名機百選の紹介は終わります。見たことも無い飛行機がずらりと並ぶ「あいち航空ミュージアム」の「名機百選」ですが、全部を紹介するのは正直大変でしたが勉強になりました。
 もっと綺麗に写真が撮れれば、良いのですが自分には無理でした、カメラの扱いやガラスの反射などの処理が下手で綺麗に撮れないのが残念です、もっと練習しなきゃ・・・。

 これだけの機体を作るのにどれだけの時間と手間が必要だったか考えると、頭が下がります。
こんな素晴らしい展示を企画し、維持されている作者さんやスタッフなど関係者の皆さんに感謝です。
(2026.6.13)

タイトルとURLをコピーしました