トヨタ博物館 / TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM 自動車の歴史と進化 ⑦

車に関する事

3F ZONE9~13

2階の展示を見て、3階に来ました、トヨタ博物館のやっと半分です。博物館のほかに文化館もあります、まだまだ続く。(2024.8.18 撮影)

トヨペット クラウン RS型 Toyopet Crown Model RS(1955)

エレベーターで3階に上がると、黒塗りの車が正面に待ってます。(2024.8.18 撮影)

トヨタだけでなく、日本を代表する車であるクラウン、1955年に発表された純国産車。(2024.8.18 撮影)

今では採用されることが少ない観音開き、開口部が大きくなる利点もあるが、リアドアがスーサイドドア(自殺ドア)と呼ばれ、衝突などの際、車外に投げ出される危険性や、風圧で扉が開くと戻せないなどのデメリットもあるとか。
今回、観音開きについて調べて初めて知った、スーサイドドア・・・また一つお利口になったじゃん。(2024.8.18 撮影)

当時はタクシーの需要が多かったので、観音開きになったとか。その後、二代目から前ヒンジのドアになったとか。(2024.8.18 撮影)

リアガラスは曲面がきついので3分割になっている、これが「いつかはクラウン」の原点になる車。(2024.8.18 撮影)

1955年はジェームズ・ディーンが事故死、ヘレンケラーが来日した。
明石家さんま、ブルースウィリスが生まれた年で、アメリカへ輸出したトヨタ最初の自動車がクラウンだった。(2024.8.18 撮影)

日本の自動車の歴史に優れた足跡を残した名車を「歴史遺産車」として選定し、プレートを掲出。(2024.8.18 撮影)

3階から先ほど見た車たちが見えます。左から、コードモデル812、ランチア アストゥーラ ティーポ 233C、メルセデス ベンツ 500K(2024.8.18 撮影)

左から、ドラージュ タイプ D8-120、ブガッティ タイプ 57C(見落として写真撮り忘れてるやん)(2024.8.18 撮影)ドラージュとランチア アストゥーラ ティーポ 233Cはここから見てもよく似てる

左から、キャデラック シリーズ 60 スペシャル(これも見落としてる)、パッカード トゥエルヴ (ルーズヴェルト大統領専用車)あっ、ゴルゴが・・・いるわけないか。(2024.8.18 撮影)

左から、カイザー フレーザー ヘンリー J、タッカー ’48、キャデラック シリーズ 60 スペシャル(2024.8.18 撮影)

3F ZONE 9を見渡す

3FのZONE 9に来ました、「米欧日 それぞれの再出発 1950s」とテーマが書いてあります。(2024.8.18 撮影)

見たこと、知っているメーカーや自動車が見えます。(2024.8.18 撮影)

キャデラック エルドラド ビアリッツ Cadillac Eldorado Biarritz(1959)

とんでもなく巨大な車体のキャデラック、昔のアメ車を代表するようなデザイン。
むかしの映画に出てくるアメ車と言えばこんな車でした。(2024.8.18 撮影)

久しぶりに実車を見ました、イベントなどで見ることはありますが、さすがにでかい・・・。全長5703mm
(2024.8.18 撮影)

このテールフィンが特徴、まるで飛行機の尾翼みたい。無駄に馬鹿でかい、これは当時のアメリカの経済が良かったからこんなにでかくなった?アメリカンドリームの象徴?(2019.4.19 撮影)

ここだけ見たらもう前か後か判らない・・・トランクルームどんだけでかいの・・・(2019.4.19 撮影)

デカけりゃいいってもんではないけど、どうしてこんなになっちゃたんだ、ジェット機の噴射口をモチーフとしたテールライト。(2019.4.19 撮影)

6396cm³、水冷V型8気筒OHV、257kW/345HP/4800min-1、エアサスペンション、パワーステアリングを取り入れた当時の最新技術のクルマだった。

トヨタ ランドクルーザー FJ25L型 Toyota Land Cruiser Model FJ25L(1957)

キャデラックとは対照的に無駄を一切省き、機能性だけを追求した車がランドクルーザー。FJ25L型は二代目、初代のランクルは警察や消防などの公的機関向けに作られたとか。無事に目的地にたどり着き、補修も容易なことが重点とされ、道路事情が悪かった当時、壊れないことは重要だった。
実は、初代クラウンは輸出されたが、まともに走れず、ハイウェイの入り口の上り坂が登れないとか、オーバーヒートなどに悩まされ、売れ行きはさっぱりで、それをランクルが補ったとか。(2024.8.18 撮影)

「どこに行っても必ず帰ってくる車」、それがランクルの代名詞みたい、昔も今もランクルと言えばオフロードのイメージですが、最近のランクルは綺麗で豪華になりすぎてる気がする。汚れてるクルマなんて見たこと無いもん。(あくまで個人の感想です、お前の意見なんて聞いちゃいないよって声が・・・)(2024.8.18 撮影)

フライング フェザー Flying Feather(1955) 

名前は聞いたことあるが、どんな車だったかは知らないフライングフェザー。
日産にいた富谷龍一が退社し、同僚だった片山豊と港で飛び交うカモメを見て、軽々と走る車を作りたいと、住江製作所で制作したのがフライングフェザーだったと調べたら書いてありました。もちろん知らんかったけど、何か?(2019.4.19 撮影)

試行錯誤を重ね、無駄を省くためフロントブレーキさえ省略、当時の信頼性の低い部品では十分な信頼性を得られず、昭和31年には住江製作所は経営不振に陥り、生産は打ち切られた。(住江製作所は現存し、住江工業となり鉄道や自動車の座席などを製造している)(2019.4.19 撮影)

フジキャビン 5A型 Fujicabin Model 5A(1955)

この車もフライングフェザーを制作した富谷龍一の設計、ここまで省くかっていうくらい何もついてません。
すぐそばにキャデラック エルドラドがありますが、いかにも豪華なアメリカ車と敗戦国のクルマはこんなにも違う。
これじゃ勝てるわけないよ。ヘッドライトだって1個しかない、まるで一つ目小僧だ、妖怪みたい。(2019.4.19 撮影)

物資も技術も無い状態でFRPモノコックの車体を作ること自体が凄い。昔の人の努力は無駄じゃない、どこかで役立つ時代が来る。(2019.4.19 撮影)

貴重な車が見れるだけでも幸せだ。車作りにかける思いが、これらがやがて世界一の自動車産業の国になっていく(2024.8.18 撮影)

ダイハツ ミゼット DKA型 Daihatsu Midget Model DKA(1959)  

古い映画やドラマに出てくるミゼットの初代がDKA型、昭和32年(1957年)発売開始され、改良されながら昭和47年製造中止になるまでに31万台が走った。(2019.4.19 撮影)

ハンドルがオートバイみたい、発売当初は月産500台ほどの予定でスタートしたが、その後ブームが起きて昭和34年には登録累計1万台を超え、昭和35年の9月には10万台を突破するヒット作に。「街のヘリコプター」が愛称。また、海外にも輸出され現在もそのコンセプトは受け継がれている。(2019.4.19 撮影)

DKA型の主要諸元 空冷単気筒2サイクル、排気量249cc、最高出力7.4kW/10PS/4500min-1、28km/ℓ

いすゞ ヒルマンミンクス PH300型 Isuzu Hillman Minx Model PH300(1960)

1960年辺りはトヨタ、日産、いすゞが国産車の「御三家」と言われていたとか、へ~そうだったの。
いすゞはイギリスのルーツグループの傘下のヒルマンブランドの乗用車の製造販売の提携を結び、部品を輸入し組み立てるノックダウンで生産を始めた。(2019.4.19 撮影)

ヒルマンミンクスは性能が高く、クラウンなど他のクルマのオーナーは「勝てないから挑戦するな」と言っていたそうです。(2019.4.19 撮影)

いすゞも最近は乗用車から撤退してますが、海外では現在、D-MAX、 MU-Xなどを60か国以上で発売しており、国内でも売れると思うんだけど・・・国内では販売する気ないのかな、カッコイイのにもったいない。(2019.4.19 撮影)

日産 オースチン A50型 Nissan Austin Model A50(1959)

戦後、日産がイギリスのオースチン社と技術提携し製造したのが、日産 オースチン A50型(2019.4.19 撮影)

日本も昔は技術提携で海外の技術を学び、工業製品の品質向上に努め、独自の技術を開発していった。
やがて、すべて国産で自動車を製造するまでになり、ダットサンやセドリックにつながっていく。(2019.4.19 撮影)

シトロエン 2CV タイプ A Citroen 2CV Type A(1953)

そのユニークな見た目から強烈な印象が残り、誰でも見たことがあるシトロエンの2CV。
フランスで農民の交通手段が無く、移動に困っているのを見たシトロエンが「凸凹道を走っても卵が割れない車」を目指し、シンプルで実用的な車として発表した。
発表した当時は、「醜いアヒルの子」「乳母車」と笑われたが、42年間で387万台以上が売れたベストセラーカー(2019.4.19 撮影)

卵が割れない、シルクハットがぶつからない、4人の大人と50㎏のジャガイモを積んで60kmで走れることなどが開発時に要求されたとか。エンジンは空冷水平対向2気筒OHVをフロントに詰め込み、数々の要求を満たしたのが、あの形で実現され世界中に広まった。(2019.4.19 撮影)

メッサーシュミット KR200 Messerschmitt KR200(1955)

カエルです、いやムツゴロウです、ほんとはメッサーシュミットです。ドイツの航空機メーカーが作ったので空気抵抗を考えたスタイリングです、ごめんなさいカエルじゃなかった、でも似てる。(2019.4.19 撮影)

この種のクルマはバブルカーと呼ばれ、超小型自動車の一種、小さな車体に大きなキャノピーが泡を思わせる。
文字通り飛行機のキャノピーをかぶせたような車がメッサーシュミットKR200。(2019.4.19 撮影)

独得なハンドルで前後に人が乗車するタンデムスタイル。
バックするときはエンジンを一旦止めて、エンジンを逆回転させる。(どうやって操作するの?)
どうやら、エンジンを切って、1速に入れるとバックするらしい。(元々バイク用の2サイクルエンジンなので、バックギアが無い、バック用のポイントに切り替えてエンジンを始動すると、逆回転するんだって、すげー!!)(2024.8.18 撮影)

あの車体で、最高速は105kmとか、トレッドが狭いので高速コーナーは慣れが必要とか。
見た目がインパクトあるので、忘れられない車の内の1台です。(2019.4.19 撮影)

ドイツも敗戦国のため、戦闘機の製造を禁止され、メッサーシュミットが製造したのがバブルカー。
日本も戦後、乗用車の製造を制限されていた時期があったが、やがて自動車の製造が許され、徐々に国産車の性能がアップしていく。(2019.4.19 撮影)

トヨタ博物館 / TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM 自動車の歴史と進化 ⑧へ続く

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