白川・昼間の祇園
祇園と聞いて浮かぶのは、きれいな芸者さんと舞妓さんです。
それくらいの知識しかありませんでした。
そもそも芸者とは言わず、芸妓(げいぎ・げいこ)と呼ぶことも知りませんでした。
小さい舞妓さんが・・・
かにかくに碑(昭和30年、歌人・吉井勇、作家・谷崎潤一郎らによって建立された)
吉井勇の作で「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」説明見てもよくわかりませんでした、どんな意味?
なんだかドラマやCMで見たような気が、いかにも古都京都みたいな風景です
こんな場所を残している京都の人達ってすごい・・・
いかにも京都って雰囲気です、自分には縁のない世界ですが。
伝統を守って生きる人が住む街って感じ。
夜になったら、この橋を舞妓さんが渡るのでしょうか、まるで時代劇みたいです。
辰巳大明神
舞妓さんみたいな女性が二人、祇園の一角にある辰巳大明神にいました。
本物?観光客?どっち?
京都では舞妓さんは見習い中で、一人前になると芸妓になる事も初めて知りました。
地方によって違いがあるようです。
それまで、気にしたこともなく見ていました。
中国のおばさんたちが写真を撮ってました、ちゃっかり便乗して写真撮らしてもらいましたが、良いんだよね?だめなのか?舞妓さんらしき人たちはニコニコして応じてました。
こんな昼間に舞妓さん歩いてないよね・・・
八坂神社
静かな感じの祇園の町を通り、賑やかな八坂神社に着きました。
祇園祭で有名な八坂神社、疫病を鎮めるために始められたとか。
八坂神社もいろんな説がある神社です。
貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立した説、渡来人が神様をお祀りしたのが始まりとした説があり真偽は不明となっている。
京都には渡来人が来ていたことが伝わっていますが、その渡来人が実はイスラエルを追われたユダヤ人だった説があり、日ユ同祖論と言われ、ネットの情報などを見ると止まらくなってしまいます。
祇園祭もユダヤのシオン祭りから来ているとか・・・
他にも色々な共通点や語源などを見ると、京都をまた違った見方が出来て京都沼にはまります。
興味のある方は検索してみては・・・はまっても知らんけど。
八坂神社の西楼門に金網で囲まれた場所があり、中に二体の像があります。
これは随身(ずいしん・平安時代の貴族の護衛役)だそうです。
青年と老人の二体が祀られています
普段からこんなに屋台が出てるのでしょうか、さすが賑わっています。
八坂神社 舞殿
提灯を見ると芸能人や有名人の名前があり、一人見つけると他にも無いか提灯を全部見るために、ぐるっと一周回ってしまいました。無駄に時間を使いました・・・
八坂神社 本殿
八坂神社の入り口の石柱に御神紋があります。
この御神紋が「五瓜に唐花(ごかにからはな)」で、きゅうりを輪切りにした時の断面の模様に似ていると言われ、祇園祭の間「きゅうりを食べない」習わしがあるとか。
きゅうりではなく「瓜」の説もある。
八坂神社 大国主社
縁結びの神様「大国主社(おおくにぬししゃ)」清水寺の地主神社にもありました、縁結びの神様、この先きっといいご縁があるはず・・・因幡の白兎が鳥居の前に。
八坂神社にはこのほかに、美容の神「美御前社(うつくしごぜんしゃ)」、大神宮社(だいじんぐうしゃ)、悪王子社(あくおうじしゃ)、刃物神社(はものじんじゃ)、「茅輪くぐり」で有名な疫神社(えきじんじゃ)、北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)などがありましたが、よく知らなかったのでチラ見しただけでした。
テレビでしか見たことのない祇園の世界。
これから先、縁の無い場所の一つです。
芸妓と舞妓とは
みんな「豆・・・」さんが多いみたいですね。何か理由があるのでしょうね。
八坂神社を出ると相変わらずの人です。
次は何処へ行きますか・・・
京都文化博物館
ぶらぶら歩いているとレンガ造りの建物がありました。
これは何だ?
入口からしてなにやら重厚な感じがします。
京都文化博物館とは・・・
日本銀行京都出張所(のちの京都支店)として1906年(明治39年)に竣工した。
東京駅を設計した辰野金吾とその弟子長野宇平治なんだって、どうりで東京駅に似てる。
中に入ってみると、すごい重厚感。きっと当時の超お金持ちが来る場所だったでしょうね。
中はこんな風で、昔の銀行の感じが・・・デザインや作りが凝ってます。
天井にも細かい作りが施されお金が掛かっていることが伺えます。
どうやら展示会のようです。
発想が乏しくて・・・
これは何?芸術には向いてないのは確かだ。
21万円って、芸術は難しい・・・
これは、ゆるキャラ?
「まゆまろ」でした、漆喰で仕上げられた体の固いゆるキャラ?
京都・大阪の旅 2日目 ⑰ 夜の先斗町と祇園の街へ、続く。