京都・大阪の旅 京都二日目 ⑪ 本能寺と池田屋

旅の写真

おなかの調子が悪いとか言って、普通に食べてるように見えますが・・・
しかもベーコンとか乗ってるし。
たしか、この後お代わりしたような覚えが・・・気のせいか。

うまそ~、あれっおなか痛いのは?

本能寺に来ました。

ホテルで朝食後、錦市場・寺町通のアーケードを通り、昨夜見れなかった本能寺に来ました。
もちろん今日も歩きです。
本能寺の変は知ってますが、当時の本能寺は別の場所だったとは知りませんでした。

本能寺の変で燃えたので、その当時の建物がある訳ないか・・・
しかも、その頃の本能寺は、お寺と言うより城に近い構造だったみたい。
信長の護衛は150~160人ほどで、明智光秀の軍勢は1万3000人ほど居たが、信長勢が何時間も抵抗できたのは城みたいな構造のおかげだった、という説も。

なぜ明智光秀が謀反を起こしたか、いろいろな説があり決定的な答えがありませんね。
でも、それが余計に謎を呼び面白い。

ごめんなさい、全く知りません。
成仏してください。

他にも火事の時にイチョウの木から水が噴き出したという説明を見ました。
ホントかな・・・?

本能寺を一通りみて、東側の入り口に来ました。
こちらの入り口は車だったら見落としてしまいそうな位、こじんまりとしています。
写真にも書きましたが、本能寺の能の「ヒ」の部分が「去」と言う字をになっているそうです。
これは、火災を嫌って字を変えたものなんだって。
今も昔も火災は怖い。

池田屋に来たよ

新選組の事件の中でも有名な「池田屋」に来ました。
京都は少し歩くだけで、歴史の舞台になった場所に出会うことが出来る。
昔の事件現場が、居酒屋になるとは・・・お酒を飲むことに違いはないが。

字が小さすぎて見えないかも。

厳しく取り調べたって書いてあるけど、すごい拷問だったらしい、昔だからね。
自分だったらすぐしゃべるだろうな・・・間違いない。

何人かは知ってます(知り合いではない、当たり前か)、前日行った霊山護国神社の坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓の近くにお墓がありました。

現在の池田屋は、旅籠だった池田屋をモチーフにした店内になっており、メニューも新選組に関する物になっているそうですよ。

位置関係を示すこんな看板が。

こんな細長い建物の中で死闘が繰り広げられた。
蒲田行進曲の「階段落ち」はここが舞台だったんだ、知らなかった・・・その頃は興味なかったからね。

京都・大阪の旅 京都2日目 ⑫ 衝撃の瑞泉寺へ、続く。

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