あの世とこの世の境 鴨川
清水寺の舞台が高いわけ・・・
京都には昔から魔界の伝説があり、由来とか見ると面白いです。
なんだか変な雲行きになってきました。
牛若丸と弁慶
牛若丸と弁慶の話って、昔ばなしだと思ってましたが実在の人物の話だったんですね。
牛若丸こと源義経は身軽な人だったみたいで、壇之浦の合戦では船から船に飛び移る「八艘飛び」を行ったとか。
壇之浦の合戦が行われた「みもすそ川公園」に源義経・平知盛像があります。
そこの源義経像は武士の姿なので、五条大橋の牛若丸とはイメージが違いました。
また弁慶はその後、義経の家来となり、最後は義経の自害の時間を稼ぐため、多数の矢を全身に受け、立ったまま絶命したとか、これが弁慶の立ち往生(立往生の語源となったとか)、主君に命を捧げるためとは言え、凄まじい死に方です。
宿泊するホテルに荷物を置いて、もう少し散策します。
歩いていたら「与謝蕪村」宅跡がありましたが、全く知りません与謝野晶子なら聞いたことあるけど。
鵺の伝説に出会う
小さな路地を当てもなく歩いていると、神社があり説明を見てびっくり。
子供のころ角川書店の映画「悪霊島」のCMで、「鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい」と言うフレーズがあり、そのころ「鵺」って何?と思ってました。
その鵺が祀ってある神社がこんなところにあるなんて。
近衛天皇は深夜になると不気味な鳴き声におびえ、やがて病に伏せてしまい、源頼政が退治した。
その時の矢尻がここ神明神社に奉納されている。
以前、自転車で兵庫県の芦屋を走っていた時に、「ぬえ塚」の看板があり、こんなところに「鵺」に関する物があるんだと思いましたが、その時は見に行くこともなく通り過ぎてしまいました。
説明文を見ると、京都と芦屋がつながりました、こんなことなら見に行くべきでした。
知らなかったら絶対に通り過ぎてしまうような細い路地に、こんなお宝があるなんて。
こんな場所で「鵺の伝説」に出会えるとはラッキー、ますます京都に興味がわいてきます。
これが鵺を射抜いた矢じり、本物が今も残っているとは・・・だって平安時代だよ。
鵺の正体はトラツグミではないかと言われてます。
トラツグミが深夜に鳴く声を聞きましたが、確かに不気味で情報のない平安時代では恐怖だったのかも。
昔はこんな生き物がいたのかもと思ってしまう、でもその当時、日本に虎って居たのかな?
何十年も前に疑問に思っていたことが、偶然、京都の町をうろついて解決したような気がします。
ますます京都の沼にはまりそう。
大阪港紋章にも鵺が
鵺を調べていると、大阪港の紋章にたどり着きました。
大阪の都島にも鵺塚があり、京都の二条城の近くのには頼政が鵺に刺さった矢を抜いて、血のついた鏃(矢先)を洗った池「鵺池」がある。
大阪の都島に流れ着いた鵺の死骸を、祟りを恐れ、流した先が芦屋だったとか。
これだけあちこちに伝説があるとホントに居たのか。
京都・大阪の旅 1日目 ⑩ 敵は本能寺・夜の京都駅へ、続く。