お腹の調子悪いって言ってお替りしてたし、悪い時と良い時の違いがよく判りません。
京都市営地下鉄 烏丸線
烏丸線の車両は、写真の10系が2023年40年ぶりに導入される20系に順次更新されるようです。
京都の地下鉄建設には京都ならではの苦労が、掘れば遺跡が出てきて、その度に発掘調査が行われ、保存方法が検討され建設が遅れる、また建設時期がバブル期だったため費用が増大したのも原因とか。
京都市の財政が厳しいのは、地下鉄建設の費用負担が大きいのも一つとされていますが、よそに比べ不利な条件があるのも確か、がんばれ京都市営地下鉄。
十条、九条と京都らしい地名が並びます。
財政状況が厳しい地下鉄ですが、安全対策の遅れは許されずホームドアの導入が進められています。
駅に置いてあった掲示板の両脇に立つシルクハットのマスコットは誰ですか?
調べましたがよく解りませんでした。
こんなにいっぱい居るのは、何か理由と歴史があるのかな?
京都タワー
夜に光り輝いていた京都タワーに登ります。
京都タワー建設当時は、京都の町並みにそぐわないとかで大炎上したとか。
それまで京都では、東寺の塔より高い建造物を作るのは許されないとの不文律があったらしく、その建設には相当の反対があったとか。
そんなことも知らず、エレベーターは上に向かいます。
京都タワーは、京都の町家の瓦屋根を波に見立て、海の無い京都で海を照らす灯台をイメージしているとか、夜の京都市内では遠くからも、その存在が目立ち、今では京都のシンボル的な建築物になっています。
建設当時の京都市の人口131万人にあわせ131mの高さになったとか。
清水寺では御所を見下ろすことの無いように、目隠しの門を作りましたが、現代ではそれをはるかに超える高さのタワーから御所方面を見ることが出来てしまいます。
昔なら御所を見下ろすなんて目がつぶれます(相当昔の話だね)
それにしても東本願寺でっかいな・・・
少し天気が悪いですが、京都市内が一望です。
あんなに歩き回った場所がここから見ると、ほんのちょっとです。
京都が山に囲まれた盆地の地形であることが、よくわかります。
狭い場所に建物がびっしりです。
しかも、この町の原型は風水により設計され、それが今でも生きている。
京都の人は今でも古い慣習を守り、生活している。
今では公団住宅などが並ぶ崇仁(すうじん)地区方面が・・・京都市の闇の歴史が垣間見える景色です。そんな崇仁地区も姿を消しつつあります。
京都だけでなく、今でも日本各地に、差別された地区が残っています
西本願寺が見えます、このときは本願寺が西と東に分かれた理由など知りませんでした。
分かれた理由を知ったのはずっと後になります。
西方浄土の思想みたいに、雲間の向うに極楽がありそうな西方面の雰囲気・・・
たわわちゃん
ついに来ることが出来ました、京都で一番高い神社。
京都の町のどこからでも見える京都タワーの御神体です、光り輝いています。
こんな現実的な事、「たわわちゃん」にお願いしていいのでしょうか。
でも、必死なことは伝わりますが・・・
誰でもそう思うのは、一度や二度ではありませんが・・・
「たわわちゃん」への願い事が凄い物ばかりで・・・
それだけみんな「たわわちゃん」に期待している証拠でしょうか。
こんなにほんわかしてるのに・・・
きっと泣く子もご機嫌になります。
京都駅
たわわちゃんに会い、再び京都駅にきました。
昨夜イルミネーションが行われていた大階段です。
歴史の街とは対照的な近代建築、京都駅は現代のアートです。
現在は4代目の駅ビルだそうです。
大階段のイルミネーションの案内がありました、いろんなパターンが1クール20分で行われるみたいです。
京都は見るとこ、行くとこ多すぎて京都駅だけで時間が掛かります。
見たら行きたくなっちゃう、あの空中経路も行かなくちゃ・・・
京都駅すごく大きく、見どころ一杯です、うろちょろしているだけでも楽しい。
羅城門
京都駅の前を歩いていたら、何かのミニチュアみたいなものがあり、近づいてみると「羅城門」の縮尺模型でした。模型と言っても、宮大工の組合が作った本格的なもので、2016年(平成28年)に京都駅北口に移設された。
模型ですが、かなり大きく(縮尺十分の一)よく見るとまるで本物みたいに見えます(ちなみに本物の羅城門は見たことないけど・・・あるわけないか)
酒呑童子を退治した頼光四天王の一人が「渡辺綱(わたなべのつな)」、その人がここ羅城門にも関係していた。鬼を斬った刀が「髭切」と呼ばれる名刀で、鬼を斬ったことから「鬼切丸」と呼ばれるようになったとか。
こんな写真を撮る場所も用意されてます。
こちらでは天使になれます。
京都・大阪の旅 3日目 ⑲ 地下街でカレーうどん 東本願寺へ向かうへ、続く。