知恩院 御廟
知恩院の奥の方へ来ました。
御廟(ごびょう)が何か知らず通り過ぎてしまい、写真も撮らずでした。何も知らずに行くと後で後悔
気になる人はネットで見てね。
勢至堂
知恩院の始まりが、勢至堂だったことを帰宅後知りました。
ここも知らずに通り過ぎてました。
気になる人はネットで見てね。
千姫のお墓
知恩院の最も奥と思われる場所に墓地があり、「千姫のお墓」がありました。
千姫は徳川家康の孫娘で波乱万丈な人生を歩んだ人です。
以前、桑名の「七里の渡し」に行ったとき、千姫のことについて少し知ったので千姫のお墓には来てみたかった。
知恩院にあることは知っていたが、こんな奥まった場所にあるなんて・・・
写真には書ききれない人生を送った千姫を思い、この場所に立つと静かでおごそかな気分になります。
墓地のそばに祠(濡神大明神)がありました。
残念ながら祇園のきれいどころはいませんでした。
知恩院 三門
知恩院の奥から下へ降りてくると大きな門がありました。
それにして敷地が広いです。
こちらが知恩院の正面の入り口になるのでしょうか。
知恩院には七不思議があるそうですが、今回は知らずに通り過ぎてしまいました。
銅閣寺(大雲院)
知恩院を後にして、歩いているとなんだか不思議な建物がありました。
石川五右衛門の墓がここにあるとは知りませんでした。
そして後日、豊臣秀次の一族が処刑されたときに関係するのが、ここ大雲院だと知りました。
銅閣があったなんて初めて知りました。
京都ってすごいな。
月真院と御陵衛士
御陵衛士が何か知らなかったのですが、後で調べると新選組の中で思想が違うために別の組織になったのが御陵衛士だった。
幕末の志士は思想が違うと殺し合い、どこで死ぬかはわからない凄惨な時代です。
今が幕末でなくてよかった。
新選組のイメージって映画とか漫画とかだと、隊士が一対一で斬り合うと勝手に思っていたが実際は違っているみたいです。
剣術の練習でも、二人や三人で相手を斬る方法を練習していたみたい。
近藤や土方たちと意見の違う、伊東甲子太郎達は新選組に宴席に呼ばれ、散々飲まされて帰り道で襲われた。新選組は遺体を放置して、遺体を引き取りに来た他の御陵衛士を襲ったらしい。
なんだか勝手に思っていた強いイメージと違い、卑怯な気もしますが、自分たちの意志を貫くためには怪我をせず、無事生き残ることが最重要だったのかな。
京都・大阪の旅 1日目 ⑥ 京都霊山護国神社 坂本龍馬のお墓へ、続く。