目的地が無い西に向かって走る自転車旅 ⑫ 4日目 姫路城大天守からの景色と播州皿屋敷のお菊井戸

自転車の旅

大天守から見た東側の景色

天守閣から見た東側には、広大な姫路の街が広がり、加古川市や高砂市方面の景色を望むことが出来ます。

大天守から見た姫路駅方面の景色

お城からまっすぐ伸びる道路の先に姫路駅があり、お城を中心に発展した街であることがわかります。

最上階の天守の屋根には火災から守るため鯱鉾が載っています。

姫路城を昔からそしてこれからもずっと守ります。

大天守から見た西側の景色

天守閣を見学した後、西の丸、百間廊下も行ってみました。

白く長い塀と百間廊下と化粧櫓に囲まれた場所が西の丸そこで千姫は暮らした。

姫路城の規模構造

縄張りって言うんだ、お城の構造から来ている言葉なんですかね?
櫓や門の数がとんでもない数字になってる、門の数だけでも合計84もあるどれだけ強固な守りか判る。

姫路城の七大特色

全城郭が白漆喰仕上げなのが、姫路城の大きな特色で魅力ですね。
屋根瓦なども含めほぼ白漆喰で塗り上げるってとんでもない労働力だどれだけお金かかってる?
でもそのおかげで、今でも綺麗なお城を見ることが出来る。

姫路城の沿革

長い歴史を持つ姫路城、読むのも大変、どこまで続く・・・。(すぐに忘れそうだ)

構造模型と棟梁の悲劇

 昔の人の建築技術のなんとすごい事でしょう、こんな大きな城を木造でつくるなんて。
西大柱と東大柱を中心として、数多くの柱が姫路城を支えているようです。
こんな大きなお城を誰が設計し、資材を集め、金額を計算したんだろう。
 池田輝政から姫路城の築城を命じられた大工の棟梁・桜井源兵衛は、9年でお城を完成し、妻を案内したが、妻からお城が傾いていることを指摘された。
 棟梁は自分のミスだと責任を感じ、口にノミを咥えて天守閣の最上階から身を投げたと言われています。(原因は重量による石垣の地盤沈下で、棟梁の責任では無かったそうです)

この模型は昭和の大御修理の為に作ったのか、20分の一の模型でも、ここまで精巧に再現するのは凄い手間と技術が必要じゃない・・・。

ロの渡櫓

ロの渡櫓は東小天守と乾小天守を繋ぐ渡櫓で各種の展示や修理の経緯が並んでいました。

お城の中にいると自分がどこにいるのか判らなくなります。

昭和の大修理

 明治時代にも大修理が行われ、巨大な姫路城を維持するため補修が行われた。
姫路城の最も大規模な修理は1956年から1964年まで8年間を費やした昭和の大修理、天守閣や城内に残るほぼすべての建物を解体し、再構築する非常に難易度の高い修理を行ったそうです
 昭和の大修理では、傾いた大天守の地盤を岩盤まで掘り下げ、頑丈なコンクリートの基盤を作り補修するなど大規模な工事が行われたようです。(築城当初から東南方向に傾いたのは地盤と重量のせいだった、それが棟梁の自殺になってしまった)

 平成の大修理では1995年に発生した阪神・淡路大震災を受けて、姫路城にも耐震補強が必要になり、耐震補強を行ったうえ屋根瓦をすべて葺き直し、黒ずんだ漆喰を全面的に塗り直すなどが行われ、現在の美しい姿を保っている。
 また、全国から1万4千人の職人が集まり、姫路城を復活させるために知恵を絞り、汗を流し、努力を惜しみなく注いだ、その裏側には人知れない苦労があったと後日プロジェクト〇・・・を見て知りました。

波紋鬼瓦

大天守の大棟の東西両端に鯱瓦があり、鯱瓦の腹の下に設置された波紋鬼瓦
波の形をした模様が確認できます、城内では様々な瓦が使用され、とんでもない数量になります。
展示品だけでも一つずつ見てたら時間がいくらあっても足りません。
瓦職人ではないので、さらっと見て進みます。

姫路城総構

写真で見ると本来の姫路城の敷地の大きさがよく判ります。
昔の外堀は現在の姫路駅の近くまであり(青線で囲まれた部分)、いかに威容を誇ったかが見て判ります。

お城を取り囲むように城下町が広がり、姫路城の絶大な権力と巨大な街だったことがわかります。

現在いるお城の敷地だけでもとんでもない広さなのに・・・。

備前丸からみた大天守

普段お殿さまは天守の近くにある本丸御殿に住んでいて、天守閣には居なかったそうです。エレベーターも無い時代に毎日、あんな高い建物に登っていたら大変だよね。

こんな高い石垣、忍者だって登れない?

こんな大きなお城を攻めようなんて気がしない・・・。

井郭櫓(いのくるわやぐら)

櫓の中に井戸を構える井郭櫓(いのくるわやぐら)、どの時代でも水の確保とトイレの問題ははとても重要です、水が無ければ人間は生きていけない。井戸の深さは16.0m、水深1.0m
内曲輪だけで井戸が32箇所あったみたいです。

石棺

姫路城を築城するために、近くの古墳などから石棺が掘り出され、石垣の一部などに使用されたようです。

帯の櫓

どれだけの櫓があるのか、それぞれ役割があり目的がある、と思うんだけど・・・。

全部見てたら、時間がいくらあっても足りないくらい見所が多い。

播州皿屋敷のお菊井戸

井戸からお皿を数える怪談は知っていましたが、それが姫路城での話だとは知りませんでした。

 女中の「お菊」は、今でいうスパイ活動を行っていたが、正体がばれた、主君の命を守るためと上司を慕う気持ちが強く、相手の要求を拒み恨みをかった。無理難題を突き付けられ、責められ最後は家宝の皿が足りなくなる冤罪の罪を着せられ、切り殺され井戸に投げ込まれた。
 そんな恨みにより、井戸から皿の枚数を数える声が毎夜聞こえてくる、一枚、二枚・・・九枚。
今になってやっと播州皿屋敷の真実を知りました。(播州ってどこか知らなかったし・・・)

でもこのような話はあちらこちらにあるらしい・・・。実際、怪談話で有名なのは番長皿屋敷で名前もストーリーも同じ内容なんだ。

明治・昭和・平成の時代の鯱

リの二渡櫓の一階に各時代の鯱が展示されていました、普段鯱をこんな風に見比べることはありません、鯱の揃い踏みだ。

頭は虎だったんだ、肉食の魚だと思ってました。

明治時代の鯱

明治の鯱は鱗が立体的で尾びれの造形も違う

昭和時代の鯱

昭和になると鱗が平面的になり、顔の造形も違う

平成時代の鯱

明治と昭和の鯱は似ている。(説明によると昭和の鯱を忠実に再現したと書いてある)

ぬの門

姫路城広すぎて、どこに何があるのかわからないで、グーグルマップで位置を確認。

今日はずっといい天気、雲一つない、ラッキー。

どこから見ても美しい姫路城ですが、魅力は天守だけではありません。
次は、燃え落ちる大阪城から命からがら脱出した千姫が本田忠刻と結ばれ、新婚生活を送った姫路城の西の丸を見学に行きます。

目的地が無い西に向かって走る自転車旅 ⑬ 4日目 千姫が暮らした西の丸と祈りを捧げた男山八幡宮へ続く

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