目的地が無い西に向かって走る自転車旅 ⑪ 4日目 最後にどうしても見たい姫路城に行ってみた。

自転車の旅

とうとう帰宅する日が来た、まずは朝食だ。

とうとう今回の旅も最終日となり、帰宅することになりますが、時間の許す限り姫路城を見学したいと思います。ホテルで朝食を済ませ姫路城に向かいます。

早朝の姫路城に到着

最終日がこんないい天気になりました、青空に浮かび上がる姫路城がめちゃくちゃ綺麗です。

お城に近づくとさらにきれいに見えます、これはいい日に来たかも。

昨夜も来ましたが、明るい時間に見ると、桜門から入った城内が余計に広く感じます。
姫路城何て広い敷地なんでしょう、どこまであるの。
菱の門の下にある入城口に向かいます、今は何もない三の丸から写真を撮ってますが復元図を見ると、桜門から城内に入った三の丸には数多くの建物が並び、本当なら菱の門までたどり着くのも出来そうにありません。

白い姫路城と黄色のイチョウのコラボレーション

1333年から今まで戦乱に巻き込まれることなく、規模を拡大しながら現在まで維持してるとは、なんて貴重な建造物を見ている事になるのか。

桜の季節の姫路城も綺麗に違いない、四季の姫路城を見たくなります。

姫路城はその白い色から、白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)と呼ばれるのも納得です。

姫路城をバックに千姫、本田忠刻(ただとき)になれるチャンスです。
姫路城に来て幸せだったが長くは続かず、波瀾万丈な人生を送った千姫、戦国の世に生きる厳しさを少しだけ知ったような気がした。

姫路城に入場

憧れの姫路城に入場するために、多くの人で賑わっています。

好古園はどんなところなんでしょう、時間があったら行ってみよう。

菱の門

 入場時間を待って並びましたが、待っている間もお城を見れるので良い時間が過ごせます。
入場口から入ると最初に見えてくるのが「菱の門」、両柱の上の冠木に、木彫の菱の紋を打っているところから呼ばれるそうです。
 今は観光客も通る門ですが、昔はお殿様などが通る時だけ開き、めったに開くことは無かったそうです。お殿様くらいしか通れなかった門を、今は庶民の自分が通ります。

朝日を浴びて眩しいくらいに輝いてます。

門をくぐっただけでこんなに近くに姫路城が見えてきました。

姫路城・鳥瞰図

こんなに広い姫路城どうやって攻略する?運よく城内に入れたとしても天守まではたどり着けそうに無い。(最初からあきらめさせ、戦わずして勝つのが一番の戦略だ・・・)自分なら簡単にあきらめるけど・・・

ろの門

城内に入るといくつもの門があり、様々な仕掛けがある。

こんなに狭い道が曲がりくねり高い壁に阻まれます、これじゃ中に入る前に死んじゃうよ。
この坂道は「暴れん坊将軍」映画・ドラマのロケでも使われ、「将軍坂」とも言われるそうです。

「狭間」

お城の事を知るまで何の穴かも知らなかった「狭間(さま)」、そんな風に使うんだ
効率的に攻撃・防御するために部隊が決められ、役割を分担しているなんてすごい戦略だ。

よく見ると、あちこちに仕掛けがあります。生きて帰れるか・・・その前にここまでたどり着けない。

はの門・石灯篭の基礎

はの門の写真を撮り忘れ、基礎の礎石だけしか写真が無い

墓石や古墳の石棺まで使ったとは勝つためとはいえ、お城は罰当たりな場所なのか・・・。

そりゃこれだけの大きさの城を作るのには、資材を集めるだけでも大変な事でしょう、使えるものはなんでも使ったのかな。(こういった例はよその城でもありますね)

城内にはいろんな仕掛けがあり、簡単にはたどり着けないようになっている。どこに行っても人が渋滞するようになってる、そんなこと考えて歩くとなかなか前に進めない。

実際、重い甲冑を装備して刀や槍などを持って攻撃を避けながら、狭い道を駆け上がるなんて自分には出来ない。(足軽とか身分の低い、戦闘員はどれほどの装備重量だったのかな・・・)

にの門

狭い道に狭い門、おまけにどこから攻撃されるのか用心しながら進むなんて生きた心地がしない。

わざと天井を低くして、長い槍などが使いにくいようになっており、渋滞するようになっている。
おまけに天井が開き、上から槍による攻撃を受けることになる。

出口が右側に回るのは、利き手である右側を攻撃するためとか。(右方向から攻撃するのは日本人の多くが右利きのためとか、昔の戦略考えた人すごいな)

ほの門

城郭用語では埋門(うずみもん)と呼ばれ、石垣上の土塀の下の一部を切り欠いて門とする形と、石垣そのものに穴を開けて通路として門とする形の二種類があり、ほの門は前者になるそうです。
ここもわざと狭くなって進みにくいようになっている。

水一門

水の一門は城門としては異例の片開き扉になっており、この扉をくぐると下り坂になっている。
これは天守を目指して登って来たのに下り坂になることで、間違った道を進んだと思い込ませるためとか。(すげーそんなことまで考えてお城造るんだ、人間の心理を不安にさせる戦略)

水二門

水の二門も一門と同様棟門だが、こちらは両開き扉になっている。ここも狭き門になっている。
大学入試とかのニュースで使われる狭き門てここから来てる?知らんけど。

水三門

ますます狭く低い門になっている水の三門、甲冑を着用して武具を持っていると一度に多くの武士が通過できず、この先、直角に曲がって階段になっているのも防御のためなんだろうね。

水五門

 大天守と小天守を結ぶ渡櫓の下にある水の五門、鉄板で覆われ火に対する防御がなされ、この門が破られると落城の覚悟をすると昔聞いたことがある。(諸説ありです)
 あれほどの守りを破り、ここまで来ることは相当の攻撃を受けているはずなので、落城も近いと考えるのも当然かも。

水六門

水の門は6つあり、水の一門、水の二門、と進み水の六門まで進んできた。何回死んだらここにたどり着くのでしょうか、もう鉄壁の守りじゃないですか。

姫路城内に入る

ここまで来るのに何回死んだのか判りませんが、姫路城内にやっと到着です。
今から白鷺城に登城です。
(誰も招待してないけど・・・)

現代人は視力が悪いので暗い場所に弱いよね。

とんでもなく重要な出入口だったことがわかる。

石落し

実際、石落としが使用される場所まで近づくことは可能でしょうか?
上から石落されたり、弓矢で攻撃されたりお城を攻略するのってホント大変・・・。

出格子窓と石落し

どれだけの仕掛けがあるのか、お城には昔の人の工夫とアイデアが詰まってます。

木造建築でこの大きなお城を支える技術ってすごいよね。

お城に厠

 そのままウン〇が残ってるのも、ちょっとね~。誰がしたんだってなる。
しかし、戦国時代のトイレ事情は深刻な問題で、トイレの処理をおろそかにすると、不衛生になり病気を引き起こす原因になる、それが元で落城の原因になる場合もあったようです。
 お城の規模が大きくなればなるほど人員や馬の馬糞なども多くなり、処理するのが大変だったみたいです。
そのため、糞尿の処理はお城から離れた城外に運び、捨てるとか厳しい管理をしていたみたいです。悲惨なのは籠城したした場合で、糞尿を外部に運ぶことも出来ずに城内に留まることになり、最後は食糧不足による餓死と不衛生による疫病の万延などにより、地獄絵図になったとか。

 姫路城みたいに、天守に厠があるお城は、どちらかと言うと少数派みたいですが。
今回姫路城に行ったことで、ちょっと勉強するいい機会になりました。

西大柱

 姫路城を支える二本の大柱、西大柱と東大柱は共に地階から伸び、重量約5700トンの大天守を支える。
昭和の大修理(昭和31年~39年)の際、西の心柱が腐っていることが判り取り換えることになった。条件に合う檜がなかなか無かったが、兵庫県旧加瀬村(現市川町)の笠形神社の御神木が候補になったが住民の同意が得らなかった。説得の結果、測量は許されたが歪みがあり諦めた。
 そこで、岐阜県中津川市の木曽の山中のヒノキを切り出すことになり、無事切り出すことに成功したが、輸送中に落下して折れてしまった。
 その結果残った木材を笠形神社の御神木とつなぎ合わせることになり、従来通り3階で2本継ぎにすることになったとか
(結果的には一本の長いままでは、工事が困難になることがわかり、昔と同じ2本継ぎの方が良いことが判明したとか)

東大柱

東大柱は昭和の大修理の際に腐った部分(根元から5.4m)を台湾檜で根継ぎされ、取り換えられた。それにしても木材の寿命の何と長い事か・・・。

各階の平面図と立体図により、姫路城の説明と場所がわかるようになっている。

鉄砲を撃つとかなりの煙が出る為、煙を外に出すための窓があったみたいです。

現代の技術でも木造6階建てのこんな大きな構造物ってあるのかな?

刑部神社

天守の最上階に神社があるなんて、諸説ありですね。

宮本武蔵って姫路城に居たんだね。それもビックリ、存在自体が神話みたいで実在したんだ。
その宮本武蔵が姫路城の妖怪を退治していたなんて。

幻の窓

大天守の最上層にある四隅の外壁の中に敷居と鴨居(かもい)が計8組あり、窓になる予定だったことがわかった。四隅の窓を塞いだ理由は不明で、文献の記録も残っていないが、窓を作るより耐震性を優先したのではと考えられているそうです。

目的地が無い西に向かって走る自転車旅 ⑫ 4日目 姫路城大天守からの景色と西の丸 へ続く

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