名鉄小牧線 全駅・全踏切行ってみた ③ 上飯田駅から味鋺(あじま)駅へ

鉄道

上飯田駅から味鋺駅へグーグルマップで見てみる

上飯田駅から味鋺(あじま)駅までは地下区間が続きトンネルで矢田川と庄内川の下をくぐります。
かつて、地上を走っていた痕跡をたどりながら、味鋺駅に向かいます。

上飯田駅を出発した列車は、次の味鋺駅まで地下のトンネル区間を走ります。
かつて地上区間を走っていた時は、写真の駐車場の付近からやや右に進路を変え、写真奥に見える木の右側に進んで行きました。(赤色矢印)(2024.10.17 撮影)

赤色矢印部分に来ました、この先、矢田川と庄内川を橋梁で渡って、味鋺駅(小牧・犬山方面)へ向かいました。
右側に鉄道の境界を示す柵が残っています、左側の建物は名古屋市上下水道局三階橋ポンプ所で、地図で見ると、現在の上飯田線はここの真下を走っているようです。(2020.5.5 撮影)

この土地が今も名鉄の所有を示す看板が残る(2020.5.5 撮影)

先ほど下から見ていた廃線跡の上部に来ました、矢田川堤防道路の左岸、左の白い壁の部分から道路を横切り、橋梁を渡り矢田川を渡っていたはずです。(2024.10.25 撮影)

三階橋の上から見た三階橋ポンプ場と橋梁のあった付近の様子。線路は赤色矢印付近から道路を横切り、橋梁を渡っていました。(2024.10.25 撮影)

黒川樋門

奥に見える三階橋ポンプ所の近くに黒川樋門があります。明治時代に物資を船で運ぶため、犬山と堀川を水路で結び往来していたそうです。庄内川から堀川までを水路で結ぶために、矢田川の下をトンネルでくぐる伏越(ふせこし)を作り、ここに出てきたそうです。川の下にトンネルを作り船で往来すること自体、発想がすごい。(2024.10.25 撮影)

3連の樋門に2つの石段、巻上機の上屋は木造で復元。明治初期の黒川開削時に原型が出来、1980年(昭和55年)に復元され現在に至る。ここから地下のトンネルを通り、矢田川の下を船でくぐっていた。(2024.10.25 撮影)

1992年には名古屋都市景観重要建築物に指定されてます。(2024.10.25 撮影)

ここで水門を操作して水量を調整していたそうです。(2024.10.25 撮影)

樋門の裏側(正直どちらが表か判りませんが)(2024.10.25 撮影)

むかしは三階橋ポンプ所の辺りが天然のプールになり、子供の水遊び場となっていたそうです。今は面影もありませんが。(2024.10.25 撮影)

水遊びで亡くなった子供を弔うためにお地蔵さんが祀られているとか。(2024.10.25 撮影)

庄内川からの導水は堀川となり名古屋市内を横断し、名古屋港まで流れていきます。(2024.10.25 撮影)

右側が三階橋ポンプ所の取水口です。矢田川の川底の下にトンネルを作り、庄内川からの水を黒川樋門まで導き堀川に流しています、現在、上飯田線もこの矢田川の地下を走っていますが、明治時代にすでに地下トンネル(伏越)で船が往来していたなんて全く知りませんでした。明治時代の技術ってすごい
小牧線が橋梁で矢田川を渡っていたのは青い線の付近(2024.10.25 撮影)

かつて小牧線が橋梁で矢田川を渡っていたころは、写真中央部から反対側の赤色矢印部分へ渡ってました。(2024.10.25 撮影)

矢田川左岸から、写真に写る三階橋を渡り反対側の右岸に渡ります。(2024.10.25 撮影)
三階橋(さんかいはし)が渡っています。三階橋の名前の由来は、庄内川から堀川に水を引くための導水路(伏越)が矢田川の下をくぐるので、その部分を一階、矢田川を2階、橋を3階としたので三階橋となった。
さんがいばし・さんかいばしとか呼ばれてますが、一説には川は濁るの嫌うため濁点が無い読み方をするとか・・・
だから橋の欄干には「さんかいはし」と濁点の無い名前なんだ。

三階橋を渡り矢田川右岸に来ました。左側にあるのは守西ポンプ場。(2024.10.25 撮影)

以前、ここには赤い小さな祠がありましたが、なぜかバラバラになってました、近くのアンダーパス工事と関係があるのか判りませんが?(2024.10.25 撮影)

三階橋が橋の掛け替えを行ったため、アンダーパス工事中です。(2024.10.25 撮影)

庄内川右岸の廃線跡、名鉄沿線でよく見る線路沿いの柵が線路だったことを示しています。(2024.10.25 撮影)

矢田川を渡った小牧線の地上区間の廃線跡が残っています。
左右に境界の白い柵がまだ残っています。左側の建物は守西ポンプ所(地図で見ると現在、上飯田線の地下区間は、この下を走っています)

廃線跡をたどり、堤防の下に来ました。矢田川右岸に渡った線路の橋台跡がまだ残っています。(奥は守西ポンプ所)(2020.5.7 撮影)

道路を渡った側(味鋺駅方)の橋台跡、昔はこの道路の上を電車が渡っていた。(2020.5.7 撮影)

橋台の横には川が流れてます。(2024.10.25 撮影)

廃線跡の横には川があります、この水が矢田川の下をくぐり黒川樋門に届きます。(2024.10.25 撮影)

もうすでに、ここで堀川なんですね。(2024.10.25 撮影)

名古屋市内の納谷橋付近で見る汚い堀川とはずいぶんイメージが違います、この川の先は庄内川に続きます。(2024.10.25 撮影)

廃線跡の横は一部遊歩道になっていて、のんびり散歩できます。(2020.5.7 撮影)

廃線跡を右側、堀川を左に遊歩道を庄内川方面(小牧・犬山方面)に進みます。(2024.10.25 撮影)

廃線跡を味鋺駅方面に進むと、瀬古橋の横に古紙回収の古紙畑 三階・水分ステーションがあります。(2020.5.7 撮影)

ここはかつて瀬古駅だった場所で、現在の上飯田線建設時に瀬古駅設置の陳情があったが建設されなかった。
ただ、現在も地下区間には瀬古駅を建設できるように、一部構造が変えてあり準備はしてあるみたいですが、採算性の事を考えると難しそうです。(2020.5.7 撮影)

廃線跡で地上運行時代の痕跡発見

廃線跡を進み栄橋の東に来ました、ここの廃線跡ですごい物?見つけました。(2024.10.25 撮影)

木の繁みの中にある茶色のボックス・・・何?。(2024.10.25 撮影)

鉄道の痕跡① 踏切警報装置制御機

これぞ過去に電車がここを走っていた証拠ですね。まさかこんなものが残っているなんて・・・。(2024.10.25 撮影)

鉄道の痕跡② 車両感知器

そして、すぐ近くにはこんなものまで。(2024.10.25 撮影)

車両感知器と記されており、製造年月が平成3年3月となっています。まだ新しい・・・確認できた機器類は製造年月が同じでした。これの用途は?この場所には踏切があったようなので踏切の自動車を感知する?どんな機能でしょうか・・・。
上飯田線としてこの区間(味鋺~平安通)が地下になったのが2003年(平成15年)3月27日なので、それまでは使用していた機器のようです。(2024.10.25 撮影)

他にもないか探すと、赤色矢印部分にありました。まだ残っているんだ、いつまであるのかな・・・。(2024.10.25 撮影)

廃線跡を覘くと何かの土台みたいなものが残っています、廃線跡はこのまま庄内川方向に向かい上って行きます。
(2024.10.25 撮影)

堀川の始まり

廃線跡の横には庄内川から堀川への用水があります。(2020.5.11 撮影)

庄内川から取り入れられた水は、やがてこの先の矢田川の下をくぐる伏越(ふせこし)を流れ、名古屋城築城のため掘られた堀川へと流れて行きます。(2020.5.11 撮影)

庄内用水元杁樋門

明治43年(1910年)完成した庄内用水元杁樋門、人造石で作られた樋門としては名古屋で唯一現存する、貴重な遺構だって。(2020.5.11 撮影)

昔は船でこのトンネルを抜けて、犬山と名古屋を船で結び物資などを運んでいたそうです。(2020.5.11 撮影)

明治43年(1910年)はイギリスの南極観測隊・スコット隊長が南極点を目指し出発し、韓国併合: 日韓併合条約発効された年。(2024.10.25 撮影)

(2024.10.25 撮影)

庄内用水元杁樋門を見て、廃線跡をさらに北に向かうと水分橋の横に来ます。境界を示す柵が鉄道跡だった名残りです。(2020.5.7 撮影)

現在、水分橋は架け替え工事中で予想図がありました。(2024.10.25 撮影)

庄内用水元杁樋門の周りもこんな綺麗に整備されるみたいです。(2024.10.25 撮影)

現在の水分橋は昭和18年に建造され、かなり古くなり架け替え工事中です、令和16年度完成予定。(2024.10.25 撮影)

現在より橋を高く、長くして、幅が大幅に広くなります。橋脚を少なくするのは水の抵抗を少なくするためでしょうか。安全になることはいい事です。(2024.10.25 撮影)

地上を走っていた時は、庄内川を橋梁で反対側の赤色矢印部分まで渡っていました。
左の橋は水分橋(庄内川の水を堀川に分けるから水分橋になったとか)(2020.5.7 撮影)

水分橋

水分橋の取水口部分、ここから庄内用水元杁樋門、矢田川の伏越、黒川樋門を経て名古屋港まで流れて行きます。(2024.10.25 撮影)

水分橋から見た頭首工(昭和28年・1953年)完成(2020.5.11 撮影)

小牧線庄内川橋梁の名残り

庄内川右岸の庄内川橋梁があった場所に来ました。反対側の赤色矢印付近から橋梁で庄内川を渡っていたはずです。(2020.5.7 撮影)

庄内川右岸には橋梁の橋台だった痕跡が残っています。(2020.5.7 撮影)

庄内川河口から22km

庄内川右岸には河口から22kmを示す石柱があります。(2020.5.7 撮影)

道路上の標識(2020.5.7 撮影)

庄内川右岸に渡った廃線跡は緩やかに下って味鋺駅へ向かいます。
現在の小牧線はこの下をトンネルで走っています。(2020.5.7 撮影)

庄内川を渡ると徐々に高度を下げ味鋺駅に向かいます。(2020.5.7 撮影)

右側の庄内川右岸道路より左側に高度が下がります。(2020.5.7 撮影)

廃線跡はここで終わり、フェンスで仕切られています。(2020.5.7 撮影)

小牧線開口部

道路を渡ると小牧線が地下区間から出てくる開口部になります。

グーグルマップで拡大すると開口部付近の様子がよく判ります。

ここから地下区間になります。ちょうど中央部にロングレールの伸縮継ぎ目がありました。(2018.3.30 撮影)

開口部から出てきた犬山行き名鉄300系(2019.11.16 撮影)

(2024.10.25 撮影)

味鋺1号踏切

味鋺1号踏切から見た開口部の風景、浸水を防ぐ止水板の設備がある。(2019.11.16 撮影)
普通は上飯田〇号踏切となるところですが、味鋺駅手前から味鋺1号踏切となってます。

下り線側(小牧・犬山方面)から見た開口部(2018.3.30 撮影)

ここで地下区間への浸水を止めるため、止水板を設置するようになっています。(2019.11.16 撮影)

上り線側(平安通方面)から見た味鋺1号踏切(2019.11.16 撮影)

下り線側(小牧・犬山方面)から見た味鋺1号踏切(2024.10.25 撮影)

味鋺1号踏切からは、味鋺駅が見えます(2019.11.16 撮影)

名鉄小牧線 全駅全踏切行ってみた ④ 味鋺駅へつづく

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