京都・大阪の旅 4日目 ㉔ 極楽橋から大阪城内へ

旅の写真

極楽橋説明

この場所には、かつてすごい豪華な橋が架けられていたらしい。
想像図が色々あるようですが、どれも豪華絢爛な金ぴかで橋と言うより、ド派手な入場門みたいです。

極楽橋を渡り、大阪城内にやっと入ります。

笠石銃眼

石垣に何か加工した跡がありました、何か意味があるんだろうと思っていたが、後で調べたら銃を撃つために作られた狭間でした。
ほんとは石垣の上に塀があったみたいです、知らなかったのでこの状態で銃を構えていたと思っていました、塀が無かったら無防備だ、現在の大阪城は塀が無い状態なので、他のお城の塀があった写真を載せました。あんな小さな隙間から見えるのかな?

秀頼・淀殿ら自刃の地

極楽橋を渡ると大阪城の石垣のそばに、「秀頼・淀殿ら自刃の地」の石碑がありました。
自害したとか、実は銃殺されたとかいろんな説があり真相は不明とか・・・

淀殿にとって、豊臣家は親の仇、自分の親を殺した豊臣に嫁ぎ、世継ぎを産み、最後は豊臣家と共に生涯を終えた。
そんな複雑な人生だったのか、今まで知らなかった・・・戦国時代を生きた人たちは皆、過酷な人生だった。

大阪城の歴史を知るとこの場所が悲しい戦国の歴史を伝える場所なんだけど、通り過ぎる人がほとんど・・・自分も今回初めて大阪城を訪れて歴史を知ったんだけど。

刻印石広場

どうやら昔からあったものではなく、近年展示の為に集められたのか。

あちこち見て、写真写り良い物を集めました。

機銃掃射痕

大阪城は第二次世界大戦のとき、空襲に遭いアメリカ軍の機銃掃射により石垣に損傷を受けたとか。

アメリカ軍の飛行機が大坂など各地に飛来するくらいだから、敗戦は時間の問題だったと思うけど、当時の軍部はまだ勝てると思っていたのでしょうか?そんなこと口にできる状態じゃなかった・・・。お城でいえば天守閣の足元まで敵が来ているようなもんで、実際、大阪城は攻撃されていた。

「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」

何かの祠でしょうか・・・何かあります。

刻印石広場を見て歩いていると、誰も居ない石垣の端に何か木に囲まれた場所を見つけました。
誰もおらず、見ていい場所なのかも判りません。

先ほど見た、淀殿自刃の地につながる場所でした。
大坂落城の時、淀殿と一緒に運命を共にした家来や関係者を弔う場所のようです。
大河ドラマにも出てくるような有名人なのに、あまりにも寂しい様子です。
でも、逆に観光地化して人がたくさん来るよりいいかも。
静かに見守る方がいい場合もある・・・

きっと波瀾万丈の一言では終わらない人ばかり。
現代の平和な時代を見たらなんと思うか・・・

誰かが祈念して置いていったのでしょうか。

隠し曲輪

ここまで来る人は居ないみたい、石垣が並んでいるだけの場所なので、石垣に興味がある人ぐらいしか来ないのかな。

ここは来る前、大阪城を調べていた時に兵士を隠すための場所があると知っていた。
そうでなければ、ここまでは来ないかも・・・

兵士が隠れる場所なので、外からは死角になっている

隠し曲輪の石垣にもあちこち刻印がありました。

山里口出桝形

どこで切るのかわからない名前。

お城はどうやって攻めるか、どうやって守るか考えながら見ると面白いと言われますが、いろんなところに防御があり、攻撃があり、なかなかお城までたどり着けないようになっている。
ここに、門が在ったら中に入る前に攻撃され討ち死にしただろうな。

空襲の痕跡

大阪城の敷地内には、さっき見た兵器工場や軍関係の建物があったので目標になったとか。

あちこちから攻撃が・・・

秀吉と家康の城の合体だとは知らなかった、でも絢爛豪華、立派です。

チケットを購入し、やっと大阪城天主閣に入ります。

金明水井戸

お城には必ず、水を確保するために井戸がありますが、秀吉の時代の井戸と思われていたが調査の結果、徳川の時代に掘られた井戸とか。名前は「黄金水井戸」だって。でも屋根だけは豊臣時代みたい。

どこの世界でも井戸を見るとお金を投げるのかな。
貞子が中から出てきそう・・・

京都・大阪の旅 4日目 ㉕ 大阪城内と巨石 へ続く

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