興正寺
東本願寺を見た後は西本願寺に向かいました。
なにやら立派な門の前に来ました、西本願寺かと思いましたが、興正寺と言うお隣さんでした。
西本願寺から独立したが、親鸞聖人を祀っているのは同じなので元は一緒だったみたいです。
門から中に入るときれいな梅が咲いていました。
西本願寺
興正寺の梅を見た後、北に進むと西本願寺の総門がありました。
親鸞聖人の命日
親鸞聖人の命日が16日だったなんて知りませんでした。
Shinran❜s Dayなんてさすがいまどき。親鸞聖人もそんな風に言われるとは思ってなかったでしょうね。
御影堂の中に入りましたが、思ってる以上に広い建物です、よくこんな大きな建物を木造で作ったね・・・昔の人の技術の凄さが体感できる。
お寺や神社の内部は写真撮影禁止のところが多いけど、西本願寺は撮ってもいいんだって。あとで知ったよ・・・
親鸞聖人は心が広いのか、別にほかの神様・仏様が心が狭いとは思ってませんが・・・。
もう見上げるだけで・・・ため息が。
どこ見ても細かい細工がしてあり、完成するまでにどれだけかかったのか?
埋め木
京都行く前にネットで調べてる時に埋め木の存在を知りました。
昔の大工さんの洒落と技術です、もっと見つけたかったけど時間が無く、やっと見つけたのが上の写真です。建物が広大過ぎて、埋め木探してたら一日じゃ足りなくなってしまう。
天水受け
境内を彷徨っていると、屋根から地面まで伸びる雨どいがありましたが、よく見ると一番下に何か小人の人形みたいなものが、これは何・・・
帰宅後調べるてみたら、雨水を受ける下にいる4人の天邪鬼だった。
四人ともみんな違うらしい、ちゃんと意味があるんだって、奥が深いね。
上ばっかじゃなく、下も見なくちゃ。見るとこ沢山ある。
足元に天邪鬼がいたなんて、気づいてよかった。
でも、表情が違うなんて知らなかったので、一体しか写真を撮らなかった、残念。
知らないって損だね。
西本願寺と東本願寺の違い
西本願寺が浄土真宗本願寺派、東本願寺が真宗大谷派で、同じ浄土真宗ではあるが作法やお経、仏具など様々に違いがあるとか。
家康は、織田信長が本願寺との戦いで苦労したのを知っていたので、本願寺の力を分断するために東本願寺を寄進することにした、と言う説もあるが本当はどうなのか・・・
本願寺を訪問した時、恥ずかしながら自分家が西か東か、どちらか知らなかった、違いも知らなかったし・・・
西と東は対立していたが、現在は交流があり仲良くなったみたいです。
新選組もアニメや映画のかっこいいイメージしかなかったけど、いろいろ調べると実際は違うみたい。
新選組のマニアには申し訳ないけど、結構嫌われている部分があったみたい。
ここにもイチョウの木がありました。西本願寺のイチョウは縦に伸びず、横に広がるので「逆さイチョウ」と呼ばれるとか。
街路樹にイチョウの木が多いのも、防火のためなんだって、知らんかった。
関東大震災の時もイチョウの木が延焼を防いだとか、昔の人はどうして知っていたんだろう?
京都・大阪の旅 3日目 ㉑ 京都から大阪へ移動 へ続く